2017年12月6日水曜日

[ 今年最後のダンス公演!!!]



ダンサーという仕事には、様々な種類がある。
例えばエンタメ舞台におけるバックダンサー。
メイン演奏者と観客を繋げ盛り上げる中間者。
踊りを生き甲斐とし仕える事としている人間にとっては、重要な仕事の一つであることは間違いない。「現場」には必ず学びが存在している。
ダンサーが関わる数々の舞台の一つとして、ダンスそのものがメイン表現となる「ダンス公演」。やはり「ダンサー」としては最も試される晴れの舞台でもあり、最も恐れ多き舞台でもある。

ミュージシャンにとっては「ライブ」。ダンサーにとっての「ライブ」は「ダンスショーケース」すなわち「ダンス公演」となる。
かつて18年前。中学生であった僕は、ストリートダンサーとして90年代後半から00年初頭クラブカルチャーの中で踊り始めた。
当時のクラブイベントでは基本、「DJタイム」•「ライブ」•「ダンスショーケース」(時にグラフィティのライブペイント)とHIPHOP三大要素を大切にしたHIPHOPイベントが主流だった。(特に石川町Bridgeウェッサイカルチャーのスキンヘッドのお兄さんたちに囲まれて踊ったときは、本当に壮快だった。)
当時のストリートダンサーに与えられたクラブイベントにおける主たる使命は「ダンスショーケース」や「バトル」に懸けられていた。

どれだけ「ぶちかませ」たのか。

約20年となるダンスライフを生きる僕にとって一番命とりとなるのは、やはり「ダンスショーケース」すなわち「ダンス公演」となります。

今回、12月23日に東京は木場アースプラスギャラリーにて開演されるダンス公演「Requiem~序章~」に出演します。
作は、高原 伸子。
彼女を初めて見たのは11年前。
ダンスカンパニー「Noism」の「NINA」DVDで踊っていて、驚異的なダイムストップ(POPダンス用語:ロボット的なスムースな止まり方)を炸裂していた女性ダンサー。それが高原伸子さんでした。
POPダンスを死ぬ程努力して追求し5年ほど経ち「ダイムストップ」をやっとのことで体感しえたかな??のスキルレベルであった当時20歳ポッパーの僕としては。。。
「NINA」で炸裂するダイムストップを見る度に「バレーダンサーが数ヶ月でダイムストップを習得」しえる驚愕的事実(なぜなら僕は5年かかったのだ。)を目の当たりにする。ストリートダンサーとはいえ、同じダンサーの道を生きる身である僕は身震いをした。(となりでHIDALI 野口 量も震えていた。)

彼女と初めて踊ったのは2013年デュオ作品「地上の楽園」。
場所は同じく木場アースプラスギャラリー。
POPダンサーから身体表現の世界へと突入した全ての切っ掛けとなったダンス公演「地上の楽園」から4年少し。
まさか路上育ちの自分が、どうであれ、モーツアルトの「Requiem」で踊る舞台に立つ日がくるとは思ってもいなかった。
心からビックリスペクトを捧げるモーツアルトの音で舞うこと。
このシンプルにも壮絶な事実に異常な緊張感を感じつつも、喜びが生まれる。
それは作する高原伸子の異常にまで純粋な姿「自分の才を信じる。」
クリエイションをする其の姿には最早、藝術創造主からの啓示を受けているような域をも感じることがある。僕は、そのような大変貴重な神秘的でさえあるクリエイションに身を置いていることに心から喜びを感じています。

2017年、僕が出演する今年最後の出演舞台 「 Requiem~序章~ 」。
2013年「地上の楽園」から4年。
この4年間をダンサーとして生きて学んだことの集大成を発揮する舞台となります。
是非、皆様お誘い合わせの上お越し下さい。
この序章、ダンスシーンを超え舞台シーンにとっても必ずしや大いなる前進の一歩となること間違い無しと感じております。
全身全霊全力で舞ります。
ぶちかます。

- イベント詳細 - 

REQUIEM ~序章~

開催日時
2017/12/23(sat) 
<1st>15:00 
<2nd>19:00

開催場所
EARTH+GALLERY

入場料金
3000 
★各回限定50名様※★
Requiem~序章~ 昼の部、限定席残りわずかとなりました。夜の部も合わせまして完全予約制となっているため御予約をお早めにしていただけますと幸いです。

予約先
requiemjosho@gmail.com 
お名前、時間帯、枚数を明記上アドレスまでお送りください。

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< 作・演出 >
高原伸子

< 出演 >
OBA
笠井瑞丈
芝崎健太
中川賢(Noism1)
加賀谷香
高原伸子

<スタッフ>
舞台美術 鈴木康朗
舞台照明協力 高田政義
デザイン 金子洋典
協力 平井花苗
アシスタント 芝崎健太

▽ Requiem ~序章~ イベントページ ▽


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呼ばれる女と祈るおんな

黙るおとこと揺れているおとこ

生まれ変わりと生まれ直し

さぁ 踊ろう

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モーツァルトの名曲「レクイエム」に集い舞う
そのからだは祈りとなる。
私たちの細胞、記憶に宿る幾千もの目には見えぬ死者たち
そして「今」を命懸けで歩む私達一人ひとりの
ひと時の安息となり明日への架け橋となることを願います。
今回は「Requiem」序章となります。
どうぞお立ち会い下さい。
   
高原伸子
•••


いやー、、、単純にめちゃ楽しみっす!!!鼻血

OneStageOneLife
小畑 大左衛門 a.k.a. OBA




2017年11月29日水曜日

鎌倉クリエイティブスタジオ SeeSaw

今から4年半前、2013年6月に鎌倉市長谷で数十年空き屋だった和洋折衷古民家と出逢いました。数十年空き屋だったこともあり、絵に描いたような「お化け屋敷」と化していた。しかしながらジブリファンである僕は完全に「え、てかリアルトトロじゃん。」と一目惚れ。

この「お化け屋敷」を「神社」のように一呼吸たる癒しをもって氣づきをえれるような。。。そのような「みんなにとって喜びとなる共有空間」ならびクリエイティブスタジオにしたい。
そして世における「善と悪」を代表する二分化の時代に、藝術を通して対極的要素を「調和」する「 和 = 輪 」のコンセプトを地元鎌倉から日本そして世界へと向けて掲げていきたい。その意味合いも含め、公共目的の公園にある遊具のシーソーが右と左どちらかに傾くのではなく均衡を保っている状態を調和の象徴とし「SeeSaw」と名付けました。


足音一つ鳴らない寂しい空間と化していたお化け屋敷も今では皆様のお陰で子供たちの笑い声や足音、美しい音楽が鳴り響く共有空間となりました。先ず手前に一昨年、維持困難に頭を抱え手放すか否かの極限となっていたときに中本まさお氏•井上ともこ氏(現:NPO法人共有空間 副理事長)が「どうにかして維持しようよ、一緒にがんばろう!」と救世主として現れたくれたことにより、今日のSeeSawがあると強く感じています。

その奇跡的な出会いから、この2年で本当に沢山の良き急展開。もちろん頭を抱えることも沢山あったけれど、人との御縁には本当に恵まれていたと感じております。
沢山の有り難き御縁によるプラスMAXポジティブ周波数のお陰か、、、な、、なんと今月!二年前から模索していたSeeSawの前にあった空き家が解体されることに!!!来年からSeeSawの庭がいっきに広くなります!!!号泣

現代の鎌倉は、本来観光地産として何よりも景観を大切にしなければならないはずなのに「コンビニ」を代表する大手フランチャイズ企業の進出により美しき歴史的景観が失われつつあります。
その現代に、かつての昭和原風景が鎌倉市長谷に還ってくることは非常に有意義であると感じております。またそれ以上に、SeeSawがさらに開かれた共有空間となれること。この御縁の巡りに深く感謝を感じております。

2018年SeeSawを共有する皆様にとって、さらなる良き展開を目指していきます。2017年の感謝と2018年の望みを込めまして12月3日 材木座 海沿いのキコリ食堂でSeeSaw主催 望年会を開催いたします。SeeSawや鎌倉に縁のあるアーティストを中心にライブ、ダンスパフォーマンス、ワークショップをおこないます。小畑家三兄弟全員参加します笑(長男DJバッチ、次男ダンサーOBA、末っ子シンガー小畑 仁)是非皆様、お越し頂けましたら幸いでございます。
望年会ではダンサー人生約20年の内、初の挑戦!!(挑戦内容は当日お披露目とす)をフォークシンガー小畑 仁(弟)のライブ時にやります!!!!兄弟コラボになります。観てほしいです!!!!いやはや、、、2017年!!!!年末!!!今日こうして元氣でいられるのも本当に皆様のお陰様でした。感謝に尽きます。これからも何卒!宜しくお願い致します。

peace

小畑 大左衛門 a.k.a. OBA






2017年11月14日火曜日

主演映画「BAKEMONO」OWTFFグランプリ受賞





この度、映画「BAKEMONO」が、「オープン・ワールド・トロント映画祭」にてEXPERIMENTAL部門グランプリを受賞しました!

「EXPERIMENTAL」とは「実験的」という意味ですが、今回の賞においては「枠にとらわれない、創作的でオリジナリティの高い作品」という定義のようです。

「ワールド・トロント映画祭」は、11月17日〜19日の三日間開催されます。「BAKEMONO」は、最終日19日に上映と授賞式が行われ、大嶋監督が現地入りする予定です。

皆様からの応援あっての受賞と、心より感謝を申し上げる次第です。本当にありがとうございます!!


BAKEMONO トレーラーpt,2
https://www.youtube.com/watch?v=QgkwMX0DcX8
BAKEMONO トレーラーpt,1
https://www.youtube.com/watch?v=27Or6SNIQp4





2017年10月23日月曜日

ハロウィンで猫踊りします。

10月31日ハロウィン。
銀座で、妖怪レベルの猫踊りをしたいと思っております。
音を担当していただくのは、地元湘南のこわい先輩でありビックリスペクトを捧げる地球音薬師 ゆうくん。
ゆうくんの音で、ハロウィンキャットに化ける。
もはや西洋的な要素はどこかへと飛び去り、東洋的妖怪猫(あばら骨が浮き出ている猫的イメージ)へと化けること間違い無し。
結果、愉快に終わらせたいと願いつつハロウィンですから、、、いつも以上にエグくいってもいいということだろうか。。。
とにかく楽しみにしております。
皆様ハロウィンパーティーついでに銀座にお越しの際は是非ご拝見いただけましたら幸いです。
ぶちかまします。


2017年10月10日火曜日

OneStage OneLife - 進撃のダンス



本物で在り続ける。
ダンサー佐藤洋介氏と、漢(ヲトコ)の約束を交わした。
時は、今年7月頭、進撃の巨人 - 進撃の軌跡ライブツアー初日。

進撃ツアーダンサーは男女2人ずつの4人。
男性ダンサーは僕と、ビックリスペクトを捧げる超絶ジャズダンサー 佐藤 洋介氏。
命がけで踊る舞台上で、この上ないパートナー。
毎舞台、圧倒的な刺激をバシバシ受けている。
そもそもジャズダンサーとポッパーが二人並ぶこと事態、異例。
しかも振付内容は、ジャズダンスを超え「進撃ダンス」という新ジャンルに昇華していると思う。
ダンス業界の人も存分に楽しめる舞台になっています。

今年7月から来年1月まで続く全国ツアーで一公演一公演、ずつ、全命をかけて踊りきる。
振付師 紀元ゆう氏の演出を僕なりに理解するならば、
それは「死に物狂いで踊る姿」すなわち「刹那」そのものに魅せたいコアがあるのだと感じた。

だから、もちろんクオリティーは絶対だけど、それ以上に、生ものの極みである身体表現による 「ライブだからこそ味わえる覇氣」をお客さん、ボーカル、ミュージシャン、スタッフ全ての臨場感に合わせて踊りで爆発させることに

集中する。

毎曲、休間なく続く怒濤の振付け。
ブラックアウトならぬホワイトアウト即ちランナーズハイならぬ進撃ダンサーズハイを舞台上で初めて体験した。
舞台袖に倒れ込み、キツすぎて泡吹いたのはダンサーとして初体験 (笑  最高に追い込まれる踊り。
ドMドSダンサーである僕としては「踊り甲斐」を絶頂に感じさせて頂いている毎舞台。
ダンサーとして、幸せでしかない。

走っては、飛んで、きって、きられては、立ち上がり、踊り続ける瞬間瞬間は「究極的刹那」でしかない。
ダンサー、アーティストとしてツアー中の全ステージを究極的刹那すなわち「OneStage OneLife」とする。

舞台上で死ねる覚悟が無ければ、表現者-舞台人として生きている価値は無いと感じている。
僕が表現者として生きている意味は、一舞台に全人生を懸けることだ。

舞台人、ダンサーとして、一日一生を体現する妥協無き「本物」で在ること。
武士あらためサムライダンサー 佐藤 洋介氏と繋いだ約束。

僕は、このツアーを通して
「一日一生、初期衝動をもって、一歩一歩を大切に、心は不動で有れ。」
鎌倉から島根 出雲までの28日間徒歩の旅で学んだ心得を、全身で実感している。

進撃の軌跡ライブツアー。
タイミングがどこかで合いましたら、是非拝見して頂きたく強く感じています。
振付 紀元ゆう氏はもちろん、共に踊るミナミ氏、あゆ氏。
そして、佐藤洋介との初演で交わした約束は、今日まで続いている。
みんなで0ne Stage One Life。
次の香川も同じです。

全身全霊全力をもって命を尽くして舞ります。

進撃の巨人 - 進撃の軌跡ライブツアー詳細▽


one love & one stage one life

小畑 大左衛門 a.k.a. OBA 

2017年8月5日土曜日

意識と無意識

記憶に留まる意識的作用。

体験に留まる無意識的作用。

基本的に、朝起きては夜寝る生活を営んでいる僕らは

意識と無意識を行ったり来たりしている。

もちろん僕らは目覚めた意識と眠っている無意識(潜在意識)であっても呼吸をし続けている。

意識的な時間でも無意識的な時間でも、僕らは心臓が動いている。

意識と無意識の対局要素をつなげるのは、生命活動ならぬ「生きている」という事実。

対局的に存在する要素に対して、ポジとネガ/善と悪/快と不快のような感情的作用を無くした時。

+と-や北と南のような事実的対極作用を、俯瞰的な姿勢で認めることが出来る。

当り前のように意識と無意識に対しても、どちらが善で悪であるかなどの定義付けほどバカらしいことはないと思う。

目の前に起きている、朝と夜のように光がさすときもあれば深い闇に包まれるときもある。

朝日が上った時には朝日を眺め、夕日が落ちれば夜空に浮かぶ月を眺める。

どちらにしても言えることは、世に存在する対極的作用に対して僕ら人間は受けとめることしかできない。

内的、精神的な喜怒のような感情的対極活動は世における朝夜に対して非常に不定リズムな現象だと最近つよく感じる。

というのも、めちゃめちゃハッピーなときもあれば地獄のような怒りを味わうときもある。

けど、どちらに対しても言えるのは、結局その感情は自分が感じているだけであって外的な現象の問題では究極、無いということ。

その感情的対極作用に振り回される日々を送ると、目の前に起きている自然の対極作用からの学びが失われる。

ハイでもなくローでもない。

ミドルな世界を感情に託したい。

あくまで普通で居る。

目の前の現実は、どうしようもなくめまぐるしく対極要素を行ったり来たりしている。

人間における内的/精神的 対極要素を中間地点におき、あくまで普通に在り続けること。

それは世における対極要素を全面で受け入れる平静さを得ることに繋がっている。

僕は、最近つくづく「 いつなんどきも、普通で在れ。」ということから多くを学んでいる。

それでいながら軽く口角を上げて微笑のスタンスを持ち続ける。

それが、意外と難しい。

都内の電車やバビロンに包まれたとき、微笑は畜生な雰囲気になってしまうときもある。

けど、それでも心から平静さを持ち続けるためには一重に呼吸に集中することが一番効果的。

呼吸を静かに意識するとき、それまで多分な要素をしめていた意識的作用が少しづつ無意識的作用へと移行していく。

身体に対しては意識的となり、心すなわち内的感情ならびに知的行為に対しては無意識的となる。

まさに踊りをしているのと同じ状態。

身体に意識的になると自然に心は静まる。

そこから必然的に、身体からドラマが生まれ、すでにおきたドラマに内的作用が追いつく。

この身体先導式生活様式は、すなわち「 生きている今が映画 」となることを意味している。

この世における何十億の人々の人生というドラマすなわち映画が存在する。

一人一人にしか見えない世界がある。

人は必ず体感をもつ身体が存在している。

すなわち外的要素をつなぐ、何かしらの体感認識が存在している。

僕らは身体の体感により外的要素を認識するんだ。

一人ずつ、その人しかもちえない体感認識により一人一人それぞれのドラマ/映画。

その究極的視聴者は、この身体をもつ本人である「我」に他ならない。

この我たる視聴者は、今目の前におきている現象/現実にたいしてワクワクしているのか。

これから先の展開にワクワクしているのか。

それとも今日までのドラマがあまりにもツマらなくて退屈になっているのか。

僕ら人間は自分の人生における圧倒的視聴者でありながら主役演者でもある。

客観的な要素を持ちつつも、当事者的に「行動」が起こせる事実。

この事実は、始めに書いた意識的行為と無意識的行為に繋がる。

視聴者と演者を同一に兼ねている僕ら人間は、自身の人生に対してドラマすなわち映画を生きているという認識。

一人一人ずつもつ、一つ一つの人生。

人生はドラマ/映画。

人間の人生は、視聴者と主役演者が同一。

視聴者と主役演者/意識と無意識

今を生きる、この瞬間が既に映画。

その認識が、人間の内的対極要素を調和に向かわせる。

その調和が生まれたとき、目の前に広がる現実たる世界は色彩をおびて展開を魅せてくれる。

その展開を美しく生きるかどうかは、我たる自分に託されている。

視聴者/主演役者を超えたディレクター、僕は自分の人生ドラマにおける監督となる。

その覚悟から、今を生きるドラマをいかにして美しくワクワクさせていくか。

その責任がようやく、自分に戻ってくる。

誰でもない、自分の人生を歩む我に対して。

ようやく責任が還ってくる。

この責任は、つきるところ人生の使命における忠心に他ならない。

この人生における使命を全うする責任を得たときに、僕ら人間は自身の人生における監督となる資格を得るようなきがする。

他ならない自分自身の監督として、受け入れるところは受け入れ、出来る限りの行動を通して使命を全うしていきたく考える。


そんな、今日この頃でした。

2017年7月16日日曜日

今を生きる


バーチャルリアリティ(VR)という言葉は元々シュールレアリスムの詩人アントナン・アルトーの造語であったということに衝撃を覚えていた今日の朝

昨日の衝撃的な時空に浸る

昨日は

今をトキめくヘアメイクアーティスト Yumiko YahataとフォトグラファーShogo Yoshidaによる

「 A RAKAN 」

という展示会のオープニングイベントにて舞ってきました

パフォーマンス内容は 今年に入ってから急激的に濃厚な縁起いただいている最早おれの兄貴 地球音楽士 宗田 悠さんとの即興コラボセッションでありました

開催場所は America Bashi Gallery

キャパの関係性やお客さんのスタンス 様々な点が交差し織りなし今日までたくさんステージを踏んできたけれど・・・昨日のあれは・・一体なんだったのだろうと振り返る


最近 踊っていてきづくのは踊り手というのは本来 ミュージシャンやその場にいるお客さんの盛り上げ隊だったんだじゃないかなー・・・と強く認識する現場が多く

というのも現在は俗に言うバックダンサーのような仕事もしている中で ボーカルとお客さん・ボーカルと演奏者・演奏者とお客さんのようにボーカルである人の色づけとしての踊りから演奏者を鼓舞させる役割からお客さんに具体的な踊りの衝撃や感動 そして共に踊るうえでの架け橋として 多々限りない「中間者」すなわち「中継(なかをつなぐ)者」として役割を全うする

バックダンサーと一言で言っても舞台上に立つ限り認識しなければいけない要点は尽きない・・・

盛り上げ隊と言ってしまうとバレーダンサー一筋の人とかコンテンポラリーダンス作家?の先生やBUTOHマスターに怒られそうだけど・・・

エンタメとアートは違う

たしかにそう

というか絶対に違う

けど・・・昨日の体験では・・・昨日のギャラリーで舞った俗にいうアート的方向性の表現においても感じた同等な何かが存在している

僕は
エンタメとしてのバックダンサーで感じたことと
アートとして昨日ギャラリーで舞った即興身体表現者として感じたことに

対極な舞台それぞれには感じれえない共通の身体感覚が確かに一瞬 あったんだ

その一瞬の感覚は尽きるところ 「 氣巡り運氣開運 ばっかーーーんん!!!!」というような 踊っている時空に存在している人々と共に地場的なレベルでのエネルギーから全員の元氣玉をもって今この瞬間を盛り上げきっていくぜ!!!

みたいな一瞬

ダンスバトルしていると結構ある
今は分からないけれどダンディラもそうだった
エンタメではよくある


しかしながら昨日の現場のようなTHE ARTのような世界での表現でバッカーーン!!!という感覚になることはやはり少ないというより もっと何というか静寂であれるというか・・・

しかしながらそれでもその静寂なりの極限の集中力を駆使して突き詰めた一点は尽きるところ・・・

バッカーーーン!!!というか・・( 汗

つきるところ 今この瞬間に 生ききっちゃおうぜーー!!!と一瞬なる時空


この一瞬を味わってしまうと・・・僕はもうダンスの呪いから離れられない


それまで他人であった人とも

それまで考え方も違った人も

それまで喧嘩していた彼女も


ステージ上で踊りだしたら もうそこは単純に「ぶちかませ」となるストリートダンスシーンで育った僕としては

舞台から見る世界は 「愛」の世界だった

これは本当で 結局お客さんもアーティストが舞台上に立った限り「ぶちかましてほしい」とは思ってくれてると思う

「最低なパフォーマンスしろー」なんてお客さんは本物ではないでしょう

そういう意味で結局はポジティブに向かう このダンス現象というのをストリートダンサーとして存分に味わってから

あくまで大人な冷徹極まりないコンテンポラリーダンスの世界に入った

当たり前話 舞台前にお客さんが「おばさーん!」なんて呼んで盛り上げようものならコンテンポラリーを観に来ている質の高いお客様達にガン引きされるだろう

その世界に入ってから一種の踊りやすさのようなものは感じていたけれど

しかしながら昨年スペインでコンテンポラリーダンス作品を踊ったときにも

尽きるところ スペインのお客さんたちの目の奥に潜む普遍的な恐怖心というものを震わせたかった

そうすると集中力は 目の一点に定められる 
その一点とは 後頭部に存在している俯瞰的な第三の目

その第三の目と
合うはずのない お客さん全員の目と

バチコン合う瞬間が存在している

そのときに確かになにかしら共有する何かを共に感じている人間達が同じ空間に存在しているという事実をもって

何か大きな「うねり」の揺らぎの萌えを感じるトキがある


その瞬間はストリートダンス業界で味わってきた結果 ポジティブの感覚と同じだったんだ



これはバックダンサーをしていてもアートの空間で舞踏手ですか?と質問されるような踊りをしている空間であったとしても

志は一つ


身体表現者として 運氣を巡らせるのだ

舞うことで喜びとなるように

尽きるところ そこにつながるのだと

今日はこのへんにしておこ