2018年4月8日日曜日

【 歩んで舞る 】episode 12 - Episodeシリーズ 最終章 -

踊りは、世界共通言語である。

肌の色が違くても、言葉が通じ合えなくても。

身体表現 = 踊りは、全人類が共通してもつ本能だ。

どの国にも必ず舞踊文化が存在する。

踊りは、人類が持つ本能の中でも極めて原始的な本能だ。

人類の藝術文化にとっても、ダンスとミュージックは極めて原始的な表現文化。

ダンスホールに、言葉はいらない。

どの国の人とも、踊り合えば仲良くなれる。

10年前、NYから帰国してから一度もNYへは行ってなかった。

2年前、2016年。

ようやく10年ぶりに、NYへ行けた。

10年ぶりのNYは、かつての緊張感は去りハーレムエリアでも観光ができるようになっていた。

そして、10年ぶりのNYは「怒り」のフィルターから見ていた光景とは全く違うものだった。

10年ぶりの外人しかいないダンスホール。

めちゃくちゃ、楽しかった。

このダンスホール、NYでもイケてるダンサーも沢山来てる。

▽ その光景。▽

みんな、ヒット打つと喜んでくれる。ってか最後らへんの14分20秒ころからはヒイてる。

ただ、本当に「楽しかった」。

差別への怒りで失った、
踊りを「楽しむ心」を10年ぶりのニューヨークの無差別な空間 = ダンスホールから学んだ。

彼らが認めてくれたのは僕の場合は「アイデンティティ」だった。

「 Im a NEW generation SAMURAI bro 」

とサムライ的ポーズをとってヒットをバチン!!と打つと

黒人の若い子たちは口を手に当て必ず喜んでくれた(つき合ってくれた)

みんな、温かった。

Jazzy Jとも10年振りだった。


彼は現在、ブロンクスで貧しい子供たちにダンスを教えていて貧しいとのことだった。

相も変わらず最高潮なFUNK LIFEをREALに過ごす半ば動物おれの師匠 Jazzy J 。

弟子として、本当に誇りに思う。

10年ぶりに再会して、彼との熱いダンスセッションを終えて

心から思った。

幻想だったんだ。

怒りは幻想の一つなんだ。

怒りで見ていたNYは、一面にすぎない。
怒りで踊っていた踊りは、一面にすぎない。

怒りというフィルターを通し見る世界は、一面にすぎない。

踊りで繋がる、点と点、人と人。

この出逢い一期一会の【 御縁 】こそが踊りを続けている何よりもの宝物なのではないだろうか。

そう思わせてくれた、10年ぶりのNY。

結果、「ありがとう。」で繋がったダンス初期衝動への里帰りだった。

それからWDCに出場して、日本ストリートダンス界の最たる異端児扱い(変態扱い)を受けているリズマが日本代表にさせていただける時代を体験して。

みんなの声援が温かった。(今動画みると固いなーって思うけれど。。。汗)

それから二年。

ダンサーという仕事は、本当に沢山のことを教えてくれた。

そして、日本のエンタメシーンにおいては「妥協」することが「金」になるということも知った。

俺みたいに毎回毎回舞台で死にそうになる、扱いにくいダンサーのニーズは日本では極めて少ない。(ただ、それでも扱ってくれている皆様に感謝しかない号泣)

今年の年始。

半年以上続いた全国ツアー「進撃の軌跡」の凱旋公演が終わる。

半年間ひたすらに一舞一生の心得で踊っていた関係上。。。

正直、終演して翌日。

明日のジョー的灰色感はんぱなかった。

ただ、ツアーを終えて思った。

そうだ。

自分の世界観を、表現してみたいな。

その表現欲は、もはや個人的なエゴな感覚が遠くて。

どちらかというと、世代交代。

子供たちに「踊る」ことの素晴らしさ、「生きる」ことの素晴らしさを身体を通して背中を魅せて伝えていきたいなと未熟ながらも心得ました。

この五年の世界観は、【 選手交代 】的修羅だった。

この数十年は、「ダンサー」が職業だった。

てかダンサーではなくて、もういいような想いがしていて。

いわゆる現代的な踊りをするダンサーが、現代アーティストであることは間違いないですよね。

というか、ダンサーだって本来アーティストなわけだし。

現代ダンサーならば、即ち現代アーティストだ。

僕は、今年、歩んで舞るをもって「ダンサー」から表現者即ち「アーティスト」として生きていこうと思っております。

肩書きなんてどうでもいい。
と同時に問われるんだバビロンに。

職業 ダンサーというと社会的信頼を得られない社会的位置。

普通とは違う方法で。

底上げしたいと切願し行動に移そうと考えました。

【 無条件を本質とするアートを生きるアーティストが、無条件の本質を失わず設立できる資本主義における法人体制は非営利法人 NPO的概念のみである。 】

と確信しました私は5年前。

NPO法人 共有空間を鎌倉で設立いたしました。(稼働はまだまだだけど。。。)

住居を併用して和洋折衷古民家をリノベートし、その建物に名前を付けました。

鎌倉市長谷 スタジオ「SeeSaw」



このシーソーというのは、「対極的にあるものが均衡を保ったとき新しい表現が生まれる」というルドルフ•シュタイナーの言葉をデザインして創ったロゴです。




対極。

均衡。

調和。

半円。

可視円。

当時、4年程前はドイツ文学にめちゃめちゃはまった時期。

シュタイナーからヘッセ、ゲーテはもちろん、謎にノヴァーリスの「青い花」まで読んだ。

なんともいえないモノクロトーンの物語の数々。

文章の向こうに見える風景。

その風景は僕らしかもたない「イメージ」。

この僕しか知らない「イメージ」が無条件な初期衝動「ワクワク」を生む連鎖。

ニーチャが語った。

「わたしが信ずるとすれば‘踊れる神’のみだ。」

踊れる

すなわち、踊る。


というか、踊りって特別なものではない。

誰でも踊れるじゃん。

踊りは誰のものでもない。

誰かが一番である必要はない。

試されるのはオリジナル。

求められるのはアイデンティティ。

その先に持つべきは【 志 】。

志が社会を結ぶ。

誰かのために、ことのために。

ことのままに、流れると信じる。

ただ、時代が理解してくれないこともある。

- 問い - 
誰が歩くやつを、はなから信用するってんだい。

- 答え - 
GPS機能を付けて、移動中の現在地が特設サイトでチェックできるようにします。
そして歩いている道中はクローズマインドではなく、オープンマインドな心で歩くように心がけます!

等々。

意味付けやコンセプトが求められる時代。

その意味付けやコンセプトが、全て【リアル】だったら超絶面白い。

【 歩んで舞る 】このプロジェクトにジャンルをつけるとしたら

【 完全ドキュメンタリーリアルドラマ作品 】

歩んで舞るの経緯は、もちろん創り話ではありません。

中島宮司83歳は、今日も現役で春の大祭に向け日々奮闘されております。

なんとも、凄いエネルギーとつくづく尊敬いたします。

というか普段、踊って生きていると。。。

日々が映画であることにきづいた。

どなたかの共通する名言

【 踊るように生きる。 】

この言葉が、僕に対して持つ意味は。

【 生きるために踊る。 】

俺は生きるために踊り、踊るように生きていきたい。

この一歩が一舞。

この一舞が一生。

一舞(一歩)一生。

かつての【 ONE LOVE 】に対して

現代の身体性に対しての大いなるアンチ。

身体のなき時代。

VRが楽しみな時代。

徒歩 = 徒らに歩く。

step by walk , to be Dancing

徒らに歩くこと = 舞うこと

この一歩が踊りと繋がっている。

この一歩が一舞となる。

ここ日本、レペゼン鎌倉から

【 One step , One Life 】を世界へ向け発信いたします。

また明後日9日(月) AM 8:15よりライブストリーミング番組が毎朝始まります。

4月9日~4月27日まで毎朝8:15よりライブストリーミングを必ず放映いたします。

観れるのは【 特設サイト 】にて。

今年3月19日から4月8日出発日まで毎朝ブログを更新させるという野心。

人からすれば、余裕じゃんという修行。

けど携帯もたない僕はPCで全てやるため、普段はPCを持ち歩けない。

今日は、とうとうパソコンを持ち出してブログを書く。

一応は、この【 歩んで舞る 】episode 12をもって最終章となります。

ただし、

明日から、ただ、ひたすら、歩くだけです。

IGA ラッシー君がパソコンを貸してもらえた時。

ブログを更新いたします。

できるだけ頻繁にやりたいと思います。

ただ、一週間に一度の更新になる場合も否めません。


ともかく、最終章にして、、、

それまで、あちこちに本題から飛んでしまう癖は

爆発しました。

大変、恐れ入ります。

ただ、想いとして最後に、出発前日であった昨日。
(もう当日3時になってしまった。。。)

4月7日たしかなる元氣玉、預かりました。

今日は、凄い風。

周りは雲、頭上は丸く青空。

太陽がまぶしくて、勝手に一人ドラゴンボール状態を浸る。

ありがたく元氣玉を感じ

明日出発。一歩目を、真剣に踏みます。

みなさまのお力添え、志の御協力に感謝。

引き続き、どうぞ何卒宜しくお願い致します。


小畑 大左衛門


ps
此の度、わたくし小畑大左衛門作となる三部作。
この三部作 【 五頭龍舞•弁天舞•大国主舞 】。
【 五頭龍舞 】と【 大国主舞 】のお面を、
Yahata Yumiko “Hachi"さんに創造していただきました。
HACHIさんのクリエイティブは神っていました。

!!!お面完成!!!

- 五頭龍舞ノ面 - 

- 大国主舞ノ面 -

衣裳はこれから。
照明も全面協力のもと入ることに。
本当に一線のクリエイター達に支えて頂いております。
誠に感謝です。


【 歩んで舞る 】特設サイト
(出発時にはリニューアルされているはず!!!汗)

【 歩んで舞る 】クラウドファウンディング
(是非みなさまご支援のほど何卒宜しくお願い致しまする。)

!!!NEWS!!!
4月7日の京都新聞に取り上げて頂きました。
http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20180407000047


一舞一生 - one step , one life -
小畑 OBA 大左衛門

#歩んで舞る
#拡散超絶感謝

2018年4月7日土曜日

【 歩んで舞る。 】明日、出発。

写真のテーマは「 !!!オイラに元氣玉をくれ!!! 」です。

明日、ぼくらは歩みます。

携帯を持っていないOBA(写真前方)
おかげで大変いがらしIGA(写真後方)

とうとう明日。

OBAとIGAの歩んで舞る旅、始まります。

わたしOBAの感覚としては、小さいころ教会で聞いた賛美歌が耳に流れています。
とうとう賛美歌流れ始めたら、かなりの緊張感です。
十字架ならぬ一本歯!これで乗り越えるぜ!!!

明日、出陣ノ儀を開催いたします。
元氣玉ジャムセッションです!!!
お見送り来て頂きたいです。
もしくは、特設サイトでのライブストリーミングをチェケラしていただきたいです。

明日は、かなり濃厚なクリエイター、関係者、アーティストがゾロゾロと鎌倉に集まりそうな予感?!
僕も踊ろうかと思っています。俺の大親友の電池もギター弾きにきます。
IGAの母ちゃんも来ます。
子連れ大歓迎です。


!!!出陣の儀パーリー!!!
■開催概要
・日時:4月8日(日)10時~11時
・場所:鎌倉市腰越 龍口明神社
http://gozuryu.com/access.php

・概要:
歩んで舞るプロジェクトのスタートに際し、「出陣の儀」として、旅の無事とプロジェクトの成功を祈願する。
内容としては、野点、テーマソング「歩んで舞る」生演奏、OBA 出陣ノギ、宣誓、元氣玉ジャムセッションを行う。

・主催兼出陣者:OBA/小畑大左衛門、五十嵐慎一郎

・ゲスト:傳田妙京(武者小路千家 茶道教授)、石井友章(オハギバンド)等々、シークレットスペシャルゲスト多数

・参加費:無料(カンパ感謝) / 皆様、お誘い合わせの上ぜひご参加ください。

■出陣の儀 ① 野点
武者小路千家 茶道教授の傳田先生をむかえて、野点を行う。出発に際し、見送りの知人とともに、“お茶を点て飲む” ことで一瞬の時を共に感じ、身体に溶け込んでいくお茶を通して言葉にならないものも含めた思いと向き合い、また、心で伝え合う。

点前担当:傳田妙京(武者小路千家 茶道教授)
NY滞在中(2003)にイメージした茶の湯スタイル”日常の茶の湯をエンジョイ!”を旨として活動開始すると共に、流儀を越えて活動する”岡傍会(オカビエ)“(故内田繁氏主宰)の一員として、国内外で茶の湯を披露する。洞爺湖G8サミット(2008)では、地球茶室空間にてプレゼンターを担当。
野点特別協力:宍戸 幹央

■出陣の儀 ② テーマソング「歩んで舞る」生演奏
本プロジェクトに際し、作詞作曲で書き下ろしのテーマソングを作ってくれた、おはぎバンド石井友章を迎えて、旅路のスタートに、生演奏を行う。

アーティスト:石井友章
オハギバンドボーカル。作詞作曲活動のかたわら、ロボ系ベンチャーで勤務。ネットラジオのDJをやったり、友達の揚げ足取るのに忙しく生きている。オハギバンド:Sweet Sticky Grooveの金字塔。カタカナで「オハギバンド」です!長尺のMCの合間にCitypop的な曲を演奏しています。自分たちで聞きたい音楽を作っていこう!的なニュアンスで活動しておりますのでみんなも僕達の音楽が好きになってくれたらいいなと思います。「前世は全員黒人のファンクバンドメンバーだった」という謎設定も持っている。

■出陣の儀 ② OBA 出陣ノギ
今回歩むダンサーOBAによる、出陣ノ舞です。
パフォーマンス所要時間は5分ぐらいかと思っています。
コラボゲストミュージシャン有り

■出陣の儀 ③ 宣誓
ダンサーOBAと同行プロデューサー五十嵐が、今回の旅路の出発にあたり、決意を述べ、歩みをスタートさせる。
宣誓と共にクラウドファウンディングを開始する。

■出陣の儀 ④ 元氣玉ジャムセッション
宣誓前に、したいことがある。
それは、参加者全員でジャムセッション♪
踊ったり奏でたり、お茶飲んで眺めたり。
完全フリーセッションを5分ほどして元氣玉を身に浴びます。

どうぞ皆さま、何卒宜しくお願い致します。
一舞一生 - one step , one life -
小畑‘OBA’大左衛門


2018年4月6日金曜日

【 歩んで舞る 】高尾山一本歯登頂

Photo by DAISUKE ‘ DAI ’ OMIYA


写真のテーマは、
「 あ!おれら高尾山登っている場合じゃなかった!」
です。


わたくしたち

天狗山

高尾山に天狗修行して参りました。



一本歯で登りました。



スキルと一歩一生の心得が必要です。


あと少しだー!



着いたー!!!

山頂で普通に着替えて帰りはトコトコ



勝手に通称「一本歯神社」に参拝して。



そしてリアカーで降りてきました。

最高でした。

8日に向けて準備が半端ないことになっている中、大変恐縮でありつつも
一本歯で鎌倉から滋賀まで歩むということもあり、天狗修行を兼ね
一本歯神社へ参拝へ参りました。

足もいい感じでパンプアップ。
心もいい感じでテンションアップ。

僕ら、なんとか滋賀まで歩けそうです。

一舞一生- one step , one life -
小畑‘OBA’大左衛門

【 歩んで舞る 】特設サイト
http://otona.be/ayundemairu/

【 歩んで舞る 】FBページ

2018年4月5日木曜日

【 歩んで舞る 】episode Eleven


20歳の頃、ダンス留学から帰って来てダンスバトルシーンに身を投じつつも。

同時に、福祉施設でダンスパフォーマンスをおこなうボランティア活動も始めた。

団体 「共有空間」の立ち上げだった。


そのボランティア活動は3年間で全国100カ所以上の施設に展開して毎年3年間年末に、川崎クラブチッタで利用者さんと若い子たちが混合するイベント「人=人(ヒトビト)」を主催した。


この活動の一歩目の体験が、踊りの本質に触れたときだった。

いわゆる
【 踊りの本質は世界共通言語である。 】
すなわち
【 踊りは言葉を超える。 】

福祉施設へダンスパフォーマンス初日。

クラブでのショーケースのノリで施設で用意してもらったステージで踊る。

施設は川崎にあった。

用意してもらったステージといっても

広場にスペースを空けてもらった感じのイメージ。

普段ショーケースをするクラブとは全く違うお客さんたち。

施設利用者さんたちがお客さん。

まずレスポンスがやばい。

全員、己の世界。


。。。



もはや、ビビった。

クラブでは、かっこつけたり、スキルぶちかます!みたいな感覚で挑む舞台前。

そんな感じで、施設利用者さんたちの前に立ったら、

全員、己の世界。

もはや、おれのこと見てない。

見てても、あまり興味なさそう。。。汗

このクラブと施設のギャップにはかなり、動揺した。

そのときに一緒にパフォーマンスしていた介護ヘルパーのダンサー友達が、きにせずオープンに踊り狂っているのを観て分かった。

そうか、ありのままでいいんだ。

もうスキルとか考えないで、衝動で踊った。

本能で踊った。

踊り狂った。

そしたら、利用者さんたちめちゃ盛り上がるという笑

すごい嬉しかった。

彼らは踊る姿ではなく踊る人の『心』を見ていた。

かいていてた汗も爽やかだわ。って思った。

衝動的本能に突き動かされている健常者と呼ばれる成人男性が、Reo Matsumotoのビートボックスで狂って踊っている。

その姿は、一体見せれるものなのかどうかは謎だけど。

けど今でもたまに思う。

その‘ゾーン’に入ったときは、みんな一つになる。

パフォーマンスしている側も、みている側も。

みんな、一つになる。

俗にいう、会場を‘ロック’した刹那。

その刹那は、【 1つの和 】だった。

その感覚を踊りを本格的にはじめて、20歳にダンス留学から帰国した当時。

初めて福祉施設で踊った、あの日に初めて本質的な会場ロック状態を体験した。

その体験をして仲間たちとめちゃめちゃハイテンションになってステージを後にした。

ステージ後に、仲間たちと昼飯食べてたら

だだだだー!!!と走って来た男の子がいて

彼は俺ととても似た症状だった。

彼のメインラングイッジは「小田急線」関連であった。

小田急に関連することしか普段、話さない。

そんなドープな少年だった。

その彼が、俺の手を掴んで言った。

『 感動した!!! 』

これは、本当にそういってくれて、、今でも耳に残っている声。

その光景をみた小田急男子の母が、感動してくれた。

普段、小田急線のことばかりなのに感動なんて言葉めずらしいと言ってくれた。

かつての自分と似た小田急線男子を見ながら同時に子供のころの自分を見ていた。

俺は、踊っていて良かったと思った。

踊りは、言葉を超えたコミュニケーション。

心と心で身体を使って会話する。

言葉を使わない踊りで超えれた言語障害と呼ばれる壁。

本来、その壁だって存在しないんだ。

僕らは子供のころ、全部知っていた。
そして持っていた。

一つの人間であること。

一つの身体をもつこと。

僕らは、世界という船で共に生きている生き物なのだということ。

踊りは、世界共通言語である。

これは、本質である。

つづく


一舞一生 -one step ,one life -
小畑 ‘OBA’ 大左衛門

【歩んで舞る】特設サイト
http://otona.be/ayundemairu/


PS
!!!歩んで舞る【出発ノ陣】イベント情報!!!

出陣の儀 - 開催概要

・日時:4月8日(日)10時~11
・場所:鎌倉市腰越 龍口明神社

・概要:
歩んで舞るプロジェクトのスタートに際し、
「出陣の儀」として、旅の無事とプロジェクトの成功を祈願する。
内容としては、野点、テーマソング「歩んで舞る」生演奏、宣誓を行う。

・主催兼出陣者:OBA/小畑大左衛門、五十嵐慎一郎

・ゲスト:傳田妙京(武者小路千家 茶道教授)、石井友章(オハギバンド)

・参加費:無料(カンパ感謝) / 皆様、お誘い合わせの上ぜひご参加ください。

■野点(特別協力宍戸 幹央)                        
武者小路千家 茶道教授の傳田先生をむかえて、野点を行う。出発に際し、見送りの知人とともに、お茶を点て飲む” ことで一瞬の時を共に感じ、身体に溶け込んでいくお茶を通して言葉にならないものも含めた思いと向き合い、また、心で伝え合う。
点前担当:傳田妙京(武者小路千家 茶道教授)
NY滞在中(2003)にイメージした茶の湯スタイル日常の茶の湯をエンジョイ!を旨として活動開始すると共に、流儀を越えて活動する岡傍会(オカビエ)“(故内田繁氏主宰)の一員として、国内外で茶の湯を披露する。洞爺湖G8サミット(2008)では、地球茶室空間にてプレゼンターを担当。

出陣の儀②テーマソング「歩んで舞る」生演奏 
本プロジェクトに際し、作詞作曲で書き下ろしのテーマソングを作ってくれた、おはぎバンド石井友章を迎えて、旅路のスタートに、生演奏を行う。
アーティスト:石井友章
オハギバンドボーカル。作詞作曲活動のかたわら、ロボ系ベンチャーで勤務。ネットラジオのDJをやったり、友達の揚げ足取るのに忙しく生きている。オハギバンド:Sweet Sticky Grooveの金字塔。カタカナで「オハギバンド」です!長尺のMCの合間にCitypop的な曲を演奏しています。自分たちで聞きたい音楽を作っていこう!的なニュアンスで活動しておりますのでみんなも僕達の音楽が好きになってくれたらいいなと思います。「前世は全員黒人のファンクバンドメンバーだった」という謎設定も持っている。


宣誓について                            
ダンサーOBAと同行プロデューサー五十嵐が、今回の旅路の出発にあたり、決意を述べ、歩みをスタートさせる。

問い合わせ先 - 歩んで舞る実行委員会

五十嵐慎一郎 igarashi@otona.be 

2018年4月4日水曜日

【 歩んで舞る 】 episode TEN


とうとうエピソードシリーズも10回目を迎えました。

ここまでくると、もはや意味不明になってきたかもしれません。

エピソードって。。。
きづいたら個人的な話で保育園まで、さかのぼりはじめられても。。。

ただ、どうしても出発前までに御共有させていただきたい旨でもあり、
もしご興味がある方が一人でもいれば書き続けようと更新を続けております。

今回は前回より転じ【踊り】の本質に触れた体験のお話です。

僕は、もともと鎌倉市笛田にあります児童障がい者施設出身者です。

このことはあまり公にしていないのですが事実ですし、もういいかと感じ赤裸裸に書きます。

というのも、施設に通っていた理由は[言葉がうまく話せなかった]からの理由で、いわゆる言語障害という分類で考えられていた保育園児でした。

保育園の帰り、施設に寄って帰る。

そもそも、なぜ言葉が必要なかったのか。

それは、言葉を超えた「美」が生活にあったからでした。
くせーよ。。って本当なので、もう正直に書き残そう。

母の車で藤沢から帰る道のり、ちょうど桟橋をブーンと渡る時に

Keith Jarretの[TheMelodyAtNightWithYou]というアルバムの
[Shenandoh]という曲が流れていたのですが。

その最高にマックス最高潮のときに、橋から見える光景が。。。

美しすぎた。

川から照り返す、夕日の陽。

空がパステルカラーにオレンジ色。

時に湘南でおこるパステルカラーミラクルノスタルジックサンセット。

フリーダムサンセット、SHIBAサン。最高にオススメな江ノ島のイベントです。

話はそれましたが、その光景にKeithのShenandohが、やばすぎた。

保育園児の僕はフルフル感動し分けも分からず涙がこみ上げてきたとき。

ふと、横を見たら、母ちゃんが泣いていた。

この涙は、いわゆる「悲しい」とか「辛い」の分類ではない涙。

この涙は、「美しさ」のため流れた美しい涙だなー。

と子供ながらにも感じ、同時に。

音楽が日常に、圧倒的な効果で色彩を増やしてくれる。

という真実を知ったときでした。

僕が、「言葉」の必要性を超えた瞬間の初めての体験でした。


今、思えば、あの瞬間。

いわゆる「リアル」な「ジブリ」感。。。

んー、、、その車のイメージは、限りなく崖の上のポニョの、ソウスケが母ちゃんすげーなーと助手席に座っているイメージ。
わかりづらいか。。。


ともあれ、踊りを踊る使命を感じた時であったと今は振り返ります。

いわゆる、色彩を濃くした現実を生む音楽をもって身体表現する意味。


音が日常の色をより鮮明にしてくれる。

その美しい絵の中で、より世界観を増幅させるため、ストイックな在り方で

身体表現をなす。

その身体は、誰よりも研ぎすまされていないとならない。

その研ぎすまされた刀が、夕日の陽を受けたとき。

どのような反射を映すのか。

その反射光は、美しいのか。

それとも、さして美しくないのか。

刀が鈍っていたら、光は鈍い。

刀が研ぎすまされていたら、光は美しく映えるだろう。

踊りで「リアルジブリ」を体現すること。

ジブリ世代なら共通して学んでいること。

日常がリアル。

今この瞬間、刹那に生きることがリアルなドラマを生む。

その生活こそが人生の色彩をより濃厚としてくれる一点となりえる。

その可能性に胸をトキめかせた瞬間。

それが、その桟橋を渡る瞬間の夕日であったと感じる。

そこから順調に施設も通い、無事に小学校も通い始め

ちょうど5年前見てしまったビデオの中で自覚症状がなかった事実を知ることになる。

それは俺が小学生ぐらいか。。。あれは。。。たぶん。

兄と弟が3ちゃんの曲で踊り狂っているとき

次男でいるおれは、ウチワをもって止まっている。

ただ静止している。

そして、時に黒目だけ動かし

少しウチワを手だけで動かし、とまる。

そして、また少し動いて、カクっと止まる。。

おれは5年前、たまたま見た親父が残したビデオテープという映像データをテーププレイヤーを再生しテレビでみたとき。

身が震えた。

俺、こんときから無意識に

止まってんじゃん。

というか、ロボットダンス。

超えては、ウチワ?

もはや、能か。。?

いわゆる言葉を超えたコミュニケーションとして身体表現にすでに身を投じていた事実をダンスを本格的に初めて14年後の5年前、初めて知ることになりました。


そこから、いわゆる言葉を超えた世界共通言語としての「踊り」をすでに自分が体現していることを知ります。

いわゆる、子供は全て知っている。

かつてのピカソではありませんが、子供時代が一番やべー表現しているという衝撃を受けます。

ただ、、、

ただ、、、、!

しかし、子供時代に戻ればいいってもんじゃない。

なんなら、俺の今のライバルは小学校4年生、伊豆の「響」です。

大人のヤバさもあることを信じたい。

子供と遊ぶとき、一本歯の共有は大人であることを少しは良かったなとアーティストとして思う瞬間です。

しかしながら数時間後には余裕で子供の彼らも一本歯で歩いてるんだけど。。

結果的にいうと、子供たちのほうが凄いです。

というか、それで良いのだと最近思うし、というか次世代として世代を超えて行くのは当然であるし、そうであってほしいと切に願います。

そういう意味で今回の歩んで舞るは子供たちにより多く伝えたいって大分話それました。
すみません。


ともかく、踊りの本質の共有です。

踊りの本質其の一

【 踊りは言葉を超えた世界共通言語である。 】

です。

そこから施設でのパフォーマンス時におきたドラマに、ようやく繋がります。

相も変わらず脱線すること多々知れず。。。

大変、申し訳ありませんが一文も無意味は無く意味は無いなんてことも感じつつ更新してまいりますので

引き続き、どうぞ何卒宜しくお願い致します。

つづく。


一舞一生 -one step ,one life -
小畑 ‘OBA’ 大左衛門

【歩んで舞る】特設サイト
http://otona.be/ayundemairu/


PS
!!!歩んで舞る【出発ノ陣】イベント情報!!!

出陣の儀 - 開催概要

・日時:4月8日(日)10時~11
・場所:鎌倉市腰越 龍口明神社

・概要:
歩んで舞るプロジェクトのスタートに際し、
「出陣の儀」として、旅の無事とプロジェクトの成功を祈願する。
内容としては、野点、テーマソング「歩んで舞る」生演奏、宣誓を行う。

・主催兼出陣者:OBA/小畑大左衛門、五十嵐慎一郎

・ゲスト:傳田妙京(武者小路千家 茶道教授)、石井友章(オハギバンド)

・参加費:無料(カンパ感謝) / 皆様、お誘い合わせの上ぜひご参加ください。

■野点(特別協力宍戸 幹央)                        
武者小路千家 茶道教授の傳田先生をむかえて、野点を行う。出発に際し、見送りの知人とともに、お茶を点て飲むことで一瞬の時を共に感じ、身体に溶け込んでいくお茶を通して言葉にならないものも含めた思いと向き合い、また、心で伝え合う。
点前担当:傳田妙京(武者小路千家 茶道教授)
NY滞在中(2003)にイメージした茶の湯スタイル日常の茶の湯をエンジョイ!を旨として活動開始すると共に、流儀を越えて活動する岡傍会(オカビエ)“(故内田繁氏主宰)の一員として、国内外で茶の湯を披露する。洞爺湖G8サミット(2008)では、地球茶室空間にてプレゼンターを担当。

出陣の儀②テーマソング「歩んで舞る」生演奏 
本プロジェクトに際し、作詞作曲で書き下ろしのテーマソングを作ってくれた、おはぎバンド石井友章を迎えて、旅路のスタートに、生演奏を行う。
アーティスト:石井友章
オハギバンドボーカル。作詞作曲活動のかたわら、ロボ系ベンチャーで勤務。ネットラジオのDJをやったり、友達の揚げ足取るのに忙しく生きている。オハギバンド:Sweet Sticky Grooveの金字塔。カタカナで「オハギバンド」です!長尺のMCの合間にCitypop的な曲を演奏しています。自分たちで聞きたい音楽を作っていこう!的なニュアンスで活動しておりますのでみんなも僕達の音楽が好きになってくれたらいいなと思います。「前世は全員黒人のファンクバンドメンバーだった」という謎設定も持っている。


宣誓について                            
ダンサーOBAと同行プロデューサー五十嵐が、今回の旅路の出発にあたり、決意を述べ、歩みをスタートさせる。

問い合わせ先 - 歩んで舞る実行委員会

五十嵐慎一郎 igarashi@otona.be 

2018年4月3日火曜日

出演映画「ヒノイリの風」公式サイト公開

かの鎌倉から出雲までの767kmを歩んだ理由であります。

映画「ヒノイリの風」。

オフィシャルサイト公開です。

「ヒノイリの風」公式サイト
http://atolofilms.com/hinoirinokaze/

2018年4月2日月曜日

【 歩んで舞る。】episode Nine


「ダンスバトルで黒人をぶったおす。」

とはいえ、僕の人生で最初で最後の師匠は「Jazzy J」という黒人ダンサー。

黒人を無差別に嫌悪していたわけではない。
それでは肌の色だけで差別する人々と同じ。
白人が黒人を差別し、黒人が黄色人種を差別する。
悲しくも傷を受けた者は、その傷の受けようで悲しい連鎖を生み出してしまう。

ただ、黄色人種であるということだけで馬鹿にしてくるアメリカ人を
踊りを通して見返したかっただけ。

18歳から20歳までの二年半。

それこそ狂うように練習しては、アメリカのダンスバトルに出場した。
人生で初めてダンスバトルで優勝できたのはアメリカ フロリダで開催されたダンスバトル。
この時の決勝動画が、今もなおネット上に残っていることにビックリします。
すごい時代ですね。。。もう13年前になります。


ベスト4ではエリートフォースのストレッチとバトルをした。
立場的に考えると、絶対に日本では生じない結果が生じていた。
このバトルでのジャッジは、PoppingPete•今は亡きSkeeterRabit等のPopDanceパイオニア達。
その瞬間の「リアル」をジャッジできる実力主義なオリジネーター。
今もなお深く敬意を感じる。
この優勝をきっかけに「努力は報われる。」と確信し、さらに異常なダンス修練に励む。

「完全実力主義」

そんな風潮が数十年前のアメリカにはあったと思う。

今では分からないけれど
少なからずとも「コネ」なり「営業」が大切な日本のダンスシーンよりも、
よっぽど生きやすかった。

鬼の形相で練習する日々。

そしてバトルに出場する。

そんな二年半の留学生活のなかで、確実に大きな自信が生まれると同時に
大切な「何か」を失った。

それは、踊りを「楽しむ心」だった。

戦うために踊っていた。

踊りを刀に代えて生きていた。

そういっても過言ではなかった。

根本に「怒り」が存在していた。

怒りから生まれる表現はアートには必須と言われる。
けど最近思うのは、それでは必ず限界が生じると思う。

バトルに出ては優勝するときもあるし、しないときもある。

優勝したら、それは嬉しいけれど、その瞬間に過去。

感じるのは、はかなさだった。

優勝した瞬間は、皆にリスペクトされるけれど次回負けたときにはシラーっとされる。

そのバトルの螺旋階段の行き着く先が、どんどん空しく思える。

20歳のころ日本に帰国し、
出場した国内バトルでも運が良く好成績を残せて、
アメリカでのバトル螺旋階段は日本でのバトル螺旋階段へと繋がった。

ひたすら、バトルのために練習する日々が帰国後も続く。

3年程経ち、比較する空しさが頂点に達した。

てか、俺はなんのためにダンスバトルに出場しているんだ?

かつては、ある特定の要素に向けた「怒り」から生じた「熱意」だった。

見返してやる。その想い一点だった。目は燃えていた。

けれど、きづいたらバトルに出場する背景の想いが、
「名誉」なり「金」になっているんじゃないか。

目が半ば灰となり、ある意味不純となった。

そもそも、踊りに評価って。。。おかしくない?

踊りは、スポーツではない。
踊りは、アートだ。

アートに競争価値的概念は本来、存在しない。

子供の絵に点数はつけれないように、踊りにも点数などつけれるはずがない。

なんだかダンスもオリンピックに向けてスポーツ種目に加えようという動きもあるらしいから
ハッキリ言いたい。

ダンスは、スポーツではない。

スポーツの基礎的概念は競争。

アートの基礎的概念は衝動。

ダンスは競い合うものではなく、突き動かされる衝動により生じる『身体表現』だ。

ダンスバトルならびダンスコンテストに出まくっていた僕が言うのも、、、
矛盾極まりないとは思いつつ、ただひたすらにバトルして競い合ったからこそ
到達した答えであり

同時に、その答えを全身で感じざるえない現場があった。

それは、ダンスバトルが開催されるクラブカルチャーとは対極的な舞台。

僕はもともと児童障がい者施設の出身で

幼少期、言語障害という判断を受け小学校に上がるまで施設に通っていました。

児童障がい者施設出身のダンサーということもあり、
福祉施設にパフォーマンスしに来てほしいという依頼をきっかけに
20歳から23歳までの三年間。
全国100カ所以上の福祉施設で踊ることになりました。

バトルとは対極な舞台。
福祉施設でのダンスパフォーマンス活動を通して、
踊りのあるべきスガタに触れることになります。



一舞一生 - one step , one life - 
小畑‘OBA’大左衛門

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