2015年2月26日木曜日

縁起

去年の鎌倉ダンスフェスを主催し、円覚寺 佛日庵の住職とのやりとりの中で多くを学びましたが、その中でも印象的だったのが、縁起でした。

縁起とは、皆さんご存知のとおり、ご縁のことです。

人と人とのご縁のこともありますし、それは物や環境にも言えると思います。

僕は、最近ほんとうにこのご縁をどれだけ大切にできるかで生き方というか方向性は全然変わるのではないかと強く学ばされています。

誰かに裏切り行為をされたとして、そこに潜むのは自分の心情が世に反映した結果。すなわち鏡。
そんな風にすぐ思えたら、もはやホトケかと思えてしまうほどです。僕にはそれは出来ないなー・・・多分、その行為をした人間に対して同じように怒りを感じ恨んでしまいます。

しかしながら、そこの行為によりご縁が断絶されるということはなく、もしかしたらどこかで再会するかもしれません。

だからこそ、この瞬間に、ブちぎれて絶縁的なレベルで相手を追い込み消えさせてしまっては、再会したそのときには何も生まれない、最早会っても素通りしたくなるのではないのでしょうか。

それでは単純に勿体ない気が最近していまして。

だから、今僕也の心情としては、どうであれ、相手を思いやるという姿勢というのは保ちたいということでした。

相手を思いやるなんて当たり前な道徳と思われがちですが、本気で難しい。。のは僕がダメ人間だから?いや、そうでもないと思うんですね。

コンビニの店員さんにだって、満員電車の中だって、どこでだって皆共存して生きているこの社会。ふとして見ると、凄く素っ気ない態度をとっていたり、それ友達にはしないよねという行動や発言をしていたり、、、それがいくら遠い仲に感じたとしても、その相手が次の日、知り合いから紹介されたとしたら合わせる顔ないですよね。それは、やっぱ縁を大切にしていないことがあらわになってると思うんですね。

この生をもって、この時代、この環境に、居合わせる全ての人々や物事、そのことに思いやりをもつというのは、それは今のこの瞬間に一緒に生きていることへの感謝にも近い、それ以上に奇跡を感じれていることなのではと思うのですね。

だから、重要な人には縁を感じ、真摯な態度をとるのでは意味がない。

この瞬間、目の前にいる人達含め、自分の内ではご縁を感じ大切にするということ。

いやー・・・僕的には凄まじい生き方の姿勢ですが僕は、そこを大切にしたいと最近強く思うのでした。

OBA






2015年2月25日水曜日

【 即興の記憶 】

最近、僕の最も刺激的かつリスペクトするダンサー 武元 賀寿子さんと辻本 知彦さん。
そのお二方と同じ空間で踊れる事、しかも最強なミュージシャンの音楽で。まさにこれ以上にない、新たな踊りとの出会いの現場。
とても大好評でシリーズ化していく模様。次回は4月15日。詳細はまた後日UPします!
ただ踊るために、踊る。ただひたすらに。
2/20
[シンガポールの風 東京の雪]@渋谷クラシックス
梅津和時.高岡大祐.DarrenMoore with 武元 賀寿子.辻本 知彦.OBA
Photo by 大洞 博靖


2015年2月22日日曜日

YOJI BIOMEHANIKA with MC STRETCH / The Place For Freedom (Official Music Video)

こちらのPV撮影では一瞬生命の危機を感じるほどでした。
監督、スタイリストさん、メイクさん、ヘアメイクさん、小道具さんからカメラマンさん、マネージャー等関わった全員の総力結集の作品です。
是非とも、観て頂けたら幸いです。
僕は侍役です。

2015年2月21日土曜日

受け入れ一緒に流れる勇気

僕はまだこの生を受けて28年ほどしか経っていませんが強く感じることがあります。
それは、時に強く苦しいと感じたり痛いと感じたりする感情や過去などと向合うことの難しさです。

その負やネガティブと言われる感情との付き合いは中々難しくて、少し油断したらその感情は変な麻薬的な感覚があり依存性を高めます。
何故なら、苦しいだけではなく、そこには気持ち良さも意外と含まれているからです。
気持ち良さというと言い過ぎかもしれないけれど、意外とそのような感覚を大切にしていたりする自分がいるということ。
このことは、自分的にはかなり厳しく自分を見直したときに分かる事実でした。
もちろん、人によって違うし潜在的にそのような感覚が芽生えた時のような瞬間は別物と考えてもいいと思います。

ただ、そのネガティブ的な感覚は時に強く自己意識を高めるし自分の立ち位置を強く認識もさせてくれます。また表現するうえで、一番端的に且つスムーズに爆発するエネルギーの種類として出しやすいのが “怒り” です。僕は、ですけど。

何故そう思うかと言うと僕は夜驚症という症状と20何年来の付き合いとなります。
夜驚症とは、通常子供がなる症状で寝ているときに叫んでしまう睡眠障害とも精神障害とも言われている今だに原因不明の症状です。
何故 夜 叫ぶのかということを真剣に考えた結果、人間が一番放出しやすいエネルギーは 怒り や 恐怖的な感覚、すなわち発狂などの分類なのではと思い始めました。

夜驚症は通常、子供時に発生し子供の内に叫ぶことは無くなり治るとのことですが数%の確率で大人になっても続く場合があります。
その数%の僕は一時期、本気で夜驚症に対して悩みを抱えていましたが、ある時から本気で向合ってみようと覚悟を決めました。

そこから、叫ばなくなる一日の過ごし方、また叫んでしまうそれまでの一日などの違いを自分なりに統計を出して、どのようにすれば夜叫ばなくなるのかを自分なりに答えを出そうとしました。
その結果、今のところまだまだ調査中ではありますが、叫ばない方法として一番良い方法は疲労困憊になり半ば寝る瞬間のことを覚えていないぐらい疲れきって寝ると叫ばないということでした。

そのことで今の僕也にハッキリ分かったことは、一日に使えるエネルギーを使いきったら叫ぶエネルギーも無くなり泥のように寝れるというごくシンプルな答えでした。
そこで、子供のころになる症状ということも重なり自分の中で納得したのは、この夜驚症の根本原因はエネルギーが一日の中で消化しきれなかった場合に放出すべきエネルギーが夜に叫びという形をとって放出されるということなのではないかと思ったのです。

なので、辛い過去によるトラウマが原因とか精神的なストレスとか、そのように捉え苦しんでいましたが、もしかしたら単純に僕は人よりエネルギーが多すぎるのでは。そのことで一日に必要なエネルギー消費が達成できていない場合に放出しやすい叫びという形をとって夜叫ぶということになるのでは。というかなり楽観的な見解にいたりました。

さて、そこで何故、夜に叫ぶのか。別に発散だったら笑いでもいいのではという意見がネット上にありました。

ただ、これは僕の持論ですが人間の感情の中で一番に瞬間的且つ放出量が多いのは怒りだと思います。

なぜなら人間が一番注意向ける色は、赤色です。
すなわち色自体が放出しているエネルギーが一番強いのは赤色ということになります。
そして人間の喜怒哀楽を色に例えると、悲しみが青・喜びが黄色もしくは橙色・そして怒りが赤です。顔を真っ赤にして怒るという例が分かりやすいと思います。

なので止まれという標識を例えに、一番注意を向けなければならない標識に赤色を使用する人間は直感的に、怒りがエネルギーとして一番強く且つ瞬時に爆発する感情であることを認識しています。

なので人間は、潜在意識的になればなるほど意外ともの凄く効率的なところもあり、エネルギー放出として端的にかつスムーズにするため怒り すなわち叫びという手段をとるのではと思います。

このような視点で、感情や自身の夜驚症と向合ってみると、案外 そのような問題は捉え方ひとつという気がしてきます。

そこで、僕は思います。

辛い過去や苦しいことなどは、基本自分が執着したくて引きづってることが多い。

けれど、そのようにしていてはその問題とも真っ正面から向合えていないし、何しろ前を見る必要がある。

その為に、まず痛いかもしれない、苦しいかもしれないけれど、そのまま受け入れてみる。
そして、受け入れたらその辛い過去や痛みや苦しみに任せてトコトン一緒にその行く先へ向かってみる。
そうすると案外、ドライに解決策が見えたりするものなのです。
だから、それだけを表面で捉えている限りでは、その苦しみを案外大切に可愛がってる状態だと思うのです。
正面から向合い、目を見つめ、本気でぶつかり互いに理解してみること。

そのことが最近、僕のなかでは新たな自分との付き合い方となっています。

人によって自身との付き合い方は全然違うと思いますが、少しでも参考になったら嬉しいなと想い書きました。

それでは、また。
photo by 大洞 博靖






2015年2月19日木曜日

そうなるように全てはそうなっていく。

なせばなる なさねばならぬ なにごとも。

といいますが、

僕の最近の心情としては

なるようになる なるようになってくさだめ  ながれてく

という感じなのです。

なぜばなる  の言葉の裏には一種の絶対的な自己意識というか

自分はこれだけのことをしたのだから、こうなるでしょう。という力を感じます。

見返りとまでは言わないけれど、努力は報われる的な。

けど現実は、厳しいです。努力は報われるわけでは、全くないです。

そもそも努力してる人でなければ分からないことですが、努力してみても自分の中でこれだけしてるのに?!なぜ?!なんてことはたっっくさん おとずれるし。

けど、ある一線までいくと、努力が努力でなくなり そのもの自体が自然なことになっていきます。

僕にとっての踊りはそんな感じです。

この場・この時間・こんなプログラムで練習を重ねるなんてことはここ数年したことありません。

すなわち練習といわれるようなことはしていません。

ある時期から時間と場所を決めて練習するって踊りにとって何だか凄い不自然に思えて、それから踊りを時間を決めるのでなくて24時間にしました。

24時間、踊る。日々の生活の過ごし方ひとつひとつ意識して踊りに還元していく。

歩いているときも意識1つでは凄い練習?一歩一歩歩む身体感覚とフォルムも含めて神経を研ぎすませていくと色々な事を教えてくれます。
お釣りをだすときもそう。相手にお釣りを渡すときの手の流れ、ここの全神経を集中させる。
あとは、電車待ってるとき、家でいるとき、気が向いたら具体的に踊りを踊ってみる。
それまでに蓄えた身体感覚の教科書を開き、実践してみる。
この24時間の意識は、時間と場所に縛られて練習するより僕にとって100倍成長が早いと思っています。

その意識は努力という感覚でしていたら絶対長続きしません。

自然に捉えるんです。これが俺の自然な在り方。

それから 僕は 踊りが好きだという気持ちのほうが強くなります。

そうなっていくと、こうしたらこうなるだろうという一種の欲が消えてきます。

それ以上に、今の自分自身の踊りがどんな感じか、どういう感覚に巡り会えるのかにワクワクします。

そうなると、結果なんてどうでもいいのです。

なせばなる は 結果を求めてる。

なるようになる は 過程を求めてる。

僕はそう感じています。

過程を生きたい。

今という過程を生き続ける。

そうすれば、振り返ったときに必ず気づくはず。

全部、なるようになってるって。

そう思う今日この頃でした。

photo by Saori Ozaki




2015年2月18日水曜日

表現する。

大人になっていく過程で失っていく表現の自由。
純度が高い、自然の木や海などを見て うわー奇麗だなーって嬉しくなって身体がぴょんぴょんはねる。走りまわる。その姿に踊りの根源を僕は見ます。
僕の目指す踊りは、意外とストイックなとこもあり、ぴょんぴょんはねる子供のような感性のもと踊れるようになるにはまだまだ僕は早いと勝手に思っています。
舞踏家 大野一雄は僕の中ではピカソでも成し得なかった、自身の再生を成し遂げた人だと思っています。
彼から非常に僕は影響を受けているのですが、やはり思うんです。
僕ら大人は子供に戻ることはできません。なぜなら記憶があるからです。
理性があるとかの以前に記憶という前提がある限り、必ず規制がかかります。
その時点で子供のときのように・・・などできないと僕は思っています。
記憶のない前提のない無意識的な在り方など、記憶をためてきた大人である自分を一回死なせない限り、難しいのではと思います。
大人の僕らが一回死ぬためには、戻ることよりも逆に進むしかないのでは。
その進み方は、子供の自由さの逆にある具体的な不自由さではないのか。
大野さんの踊りを見ていて、そう思います。
なので、そこまで生きれるか分からないけれど70歳以降になる自分の踊りがどうなるのか個人的に非常に楽しみなのです。
身体は思うように動かない。骨折をしたときのように、日々日常から身体を意識せざるえない状況に追い込まれる身体になったときの身体の表現。
そこには記憶や前提を超えた“今”の踊りがまた再生するのではないだろうかと思っています。
だからこそ、今の時期20代から30代とかは一番微妙です。
なぜなら動こうと思えば自由に動けるし、身につけた技もそれなりに磨きが入って魅せれるようになり、そのような技術にも依存するし、その表面的要素で評価を受けたりする。
その時期に大分深い落とし穴があるような気がしています。
ただ、そこで僕は何故先ほどストイックな姿勢と言ったかというと、よく僕の同世代で舞踏とかコンテとか言葉上でしかない 何かそれっぽい言葉を使い 精神を表現をするとかいってウズクマってウーとかいって ああこれが俺の身体表現である とか言って踊ってる?のを見ると身体全細胞が拒絶反応をおこします。
いや、、、まてまて、まずしっかり具体的に踊れるようになってから言ってくれよって本気でおもうんです。
まず踊りで魅せれることが出来ない人が、いきなり芸術表現とかよくわからないですが、そんなとこに入り込んで自身の身体で出来る可能な限りの身体性を見ずに甘えきってるのを見ると本気で怒りをおぼえます。
いや、森でやってたり家でやってれば僕も何も文句はありません。ただお金をとって人が見にきて、その状況でどうどうと甘え浸ってるダンサーをみると虫酸がはしるということです。
僕は、そうなりたくない。
今のこの身体、無駄に動いてしまう動けてしまう身体に対してコンプレックスがあるからこそ、逆に出来ることを全部してしまいたいというのが今の僕の考えです。
何故なら、無駄に動けてしまうのも今の僕でしかできないことだからです。
今しかできないことを重ね生きていった先に、どうしようもなく身体が思うように動かない時代にはいり、そこの現実にぶつかったときの踊りのほうが厚みは絶対に違うと思っています。
だから、僕はこの20代でできる踊りの全てに挑戦していきたいと思っています。
そして生きてければ30代・40代・50代・60代・70代・80代と進んでいき、世界に1つしかない自身の身体を読みほぐしていきたいと思っています。
僕が自分に許せないのは、表現者の特有の逃げです。
それはビジネスも芸術といわれることも、全てに潜む特有の逃げと甘え。
全部、お前次第なんだよと言い聞かしています。
比較してしまう?自信がない?大分余裕のあるその言葉の裏には自身との向合いの浅さが伺われます。
俺はそんな自分にだけは絶対に負けない。
絶対に 今 を生き続ける。

photo by 大洞 博靖













2015年2月16日月曜日

NIGHT TERROR

Starring : OBA 
Logo : Yosuke Kaneko
Film : Shuhei Bussaka


初めてダンス映像作品を自ら取り組みました。

先日、某アーティストの大掛かりなPV撮影があり、そのときに感じました。
この映像という世界は、もの凄い深い世界なのだなと。
まだまだですが、まずは一歩を踏み始めました。
これからが楽しみです。

2015年2月12日木曜日

2015年2月9日月曜日

NIGHT TERROR trailer

【OBAダンス作品 NIGHT TERROR 予告編】
僕の人生初となるダンス映像作品が2015/02/15(sun)にVimeoにてアップされ、OBAオフィシャルサイトに反映される予定です。
お気に召したら是非この予告編を拡散していただけたら多くの人に試みが伝わり嬉しいです。
http://obadance.com

NIGHT TERROR trailer from OBA DanceCH on Vimeo.

[作品主旨]
現代、ダンスとも切っては切れない関係となった動画というツールと、僕なりにどう向合っていったらいいのかを今年入ってからずっと考えていました。ダンスは生ものが全てだし、それは今尚ぼくもそう思っています。
しかし現代において、動画という可能性に触れないようにしていてるのも少し違う気がしたのです。というのも、そこには僕自身ダンサーとしての可能性を開かせてくれる「何か」も潜んでいるのではと思ったからです。そう想い保守的な姿勢から挑戦的な姿勢へと少しづつ変化し前向きに映像との関係を試みようと思いました。
誰かと協議していて問題を言い切ってしまえば、そこから協議の発展がないように、表現そのもの、そして表現ツールに見切りをつけてしまえば何もそこからは生まれません。
せっかくなら、様々な表現ツールの可能性に積極的に取り組めばいいのではと思い、今年に入ってからダンス映像作品に取り組むことを決意しました。
[NIGHT TERRORについて]
NIGHT TERRORとは、直訳すると夜驚症です。夜驚症とは、寝ているときに叫んでしまう精神障害とも睡眠障害とも言われ今だに原因不明である症状のことを指します。
それ以上の説明は作品上いらないと思っています。
ただ、ヴィヴァルディの四季に合わせて今回は冬、次回は春・夏・秋とシリーズ化し実際の四季に合わせてUPしていきたいと思っております。
これからも僕の動向をチェックしていただけたら幸いです。
2/15!お楽しみに!
FBでは16日夜に告知しようと思います。
OBA

初心忘るべからず

といいますが、初心において何が一番重要であるかは、人を崇める姿勢、すなわちリスペクトの心。そんな気が最近してます。
具体的な技術は成長していっても、“心”は基本成長することと同時に初めにあった素直・純粋・率直な心は失いたくない。

しかし、成長する過程で同時に生まれてくる慢心により失うのは謙虚さとかの姿勢以前に、“素直に驚く心”を失っていく。

初心というものは、驚く心すなわち感動をする心とさすと最近思いました。

感動を素直にする。それは初心の中でもとても今のぼくにとっては重要な心です。


写真は、先週の渋谷クラシックスでおこなわれた即興公演のメンバーとお客さんの写真です。多くを学ばさせて頂きました!誘ってくれた辻本トモさんに感謝!

2015年2月6日金曜日

Rhythmalism an 渋谷 Womb 2012/03/21

またまたレア動画アップします。リズマ休業中のリズマのタカ・オバの2012年ショーケース。



2015年2月5日木曜日

[明日・明後日 盛りだくさん!]

明後日はとうとう武元さんや辻本 トモさんたちの即興公演に出演します!当日受付なのでお気軽にお越し下さい♪
そのあと、同じく渋谷にてWombで開催されるドラムンベースイベントで何とDj Shiba FreedomSunsetさんとセッション!!笑
AM 1:30ぐらいにセッションするので良かったらこちらも遊びにきてください♪
明後日は踊りまくりMAX日です!そして念願のドラムンベースイベントでのお絵描きに没頭できそうです!!汗
そして明日は内緒で22時ころに代々木ANCEにてパーカショニスト コスモスさんとセッション!!本気で楽しみ!!
・2/6(金) Open 19:00〜 セッションするの22時頃
【LIVE THE PRESENT vol.27】
場所 :代々木 ANCE
http://www.ance.jp/live-the-present-vol-27
・2/7(土)19:30〜
【 梅は咲いたか、桜はまだだッ!】
〜 インプロ、難し、敷居が高い⁈ それでは 本日 助け合い 〜
場所: 渋谷 公園通りクラシックス
https://www.facebook.com/events/1578837312358566/?fref=ts
・2/7(土)Open 23:00〜 出番13:30頃
【 06S 】
- DrumSound&BasslineSmith -
場所:渋谷 Womb
http://www.womb.co.jp/#!/calendar/2015/02/07




Rhythmalism at WasedaNight 2015/01/31

僕のストリートダンスチーム Rhythmalism。

ストリートダンスシーンにはチームを組むという文化があります。

ショーを作ったり一緒にバトルにでたりと共に活動する仲間です。

僕は仲間に本当、恵まれているなーとつくづく思います。

彼らとは10年来の付き合いになりますが、今もこうして一緒に踊れていることに感謝感激山嵐です。



2015年2月4日水曜日

OBA DanceBattleJudgeMove

ちょっと前の映像になりますが、僕はPOP Danceも大好きだな〜と改めて再認識していた時期の映像です。

ポップダンスは、様々なダンスジャンルの中でもかなりオタク気質の高いジャンルです。

というのも、腕のここの箇所のここらへんだけの筋肉を動かせるようになる!とかいってテンションが上がる人たちがやる踊りなので、ストリートダンサーはチャラいとのイメージが強いですがストリートダンスの中でも残念ながら良しも悪しもポップはオタッキーなジャンルなのです。

だからこそ、僕はポップの可能性の無限さに惹かれます。

ポップそのものを身体表現として捉えおなす。

そうすると、踊りそのものを超えて身体をどこまで改造し動かすことができるかというとこにどこまでもストイックな姿勢であるということが見えてきます。

すなわちこれは伝統的な開きはありつつも、ある種、バレーにも匹敵するぐらいのジャンルなのではと僕は誤解を恐れず思っていたりします。

だから、コンテをやってる人たちをみて、バレーコンテが常とされている現代、ポッピングコンテというのがあっても全然有りだし、もはやコンテというものに甘んじて主軸もよく見えない単純に下手な人達より全然ぼくは可能性の開きが違うと感じております。


では〜。

2015年2月2日月曜日

O.T.R Poppin Battle 大成功!

昨日は人生で初、ダンスバトルの主催とMCをやりました。
僕はバトル自体が本当くだらなく思えていた時期から、改めてバトルのいうのがツールに思えている今日に至るまでまさか自分がバトルを主催することになるとは思いませんでした。
けれど、本当にその身にならないと分からないことって沢山あって、今回の主催がまさにそれでした。
最高に楽しく、もはや皆の汗と目の熱さに感動をしました。
各ダンスジャンルの中でもストリートダンスは、現在でもなお、本当に土臭いです。
けれどだからこそのドラマ性がダンスシーンの中で光り輝いている気がします。
僕はストリートダンスシーンとコンテンポラリーというか身体表現の世界と行き来していますが僕はやっぱストリートダンスも大好きです。
本来はほんと、精神的にヤンキー文化すなわちHIP HOPなんです。
僕はこの無駄に青春時代を謳歌しまくる人達が大好きです。
では。