2016年7月30日土曜日

日本短編映画「BAKEMONO-バケモノ-」予告編

- ハルと共に生きて -
BAKEMONOクランクアップした翌日の日記。
30歳。
僕らは、ギリギリの外遊び世代。
あの頃は、ネットもパソコンもスマホも無く、子供は外で遊ぶことが普通だった。
現代のように、自然と遊ぶことを一つのステータスとして考えるようなことはなく、単純に外で遊んだほうが楽しいから、自然とそこへ繰り出していく。
その自然には常に発見があり、同じことは起こり得なかった。
そんな毎日の移り変わりは、常にロマンに溢れていて、ドキドキしたものだ。
風情が巻き起こす心情。
その心情は恐ろしく清く美しい。
その光景を子供のころ毎日のドラマで感じていたはずだ。
大人になった今、僕らは、「風情」を感じているだろうか。
やること全てに意味が付きまとい、無条件という概念さえ死にかけている現代。
「ただ、やりたいから、やる」ということが、何だか申し訳なくなる時代。
けれど、全ての創造の核は、「ただ、やりたいから、やる」という、初期衝動ではないだろうか。
やりたいから、やる。
絵を描きたいから、描いている。
歌いたいから、歌っている。
踊りたいから、踊っている。
映画を創りたいから、創っている…。
この「やりたいから、やる」と同等に、否、世間一般には、もはやそれ以上に重要な要素と思われている”趣旨” 。
「それをやる意義はなんですか?」
「それをやる意味はなんですか?」
その質問に対して
「実に欧米的な質問ですね。」
と答えていた綱渡り師フィリップ・プティを思い出す。
子供の作品には、”趣旨”などない。
どの絵をとっても、どの歌をとっても、どの踊りをとっても、
彼らは、「ただ、やりたいから、やっている」。
もしも、彼らに”趣旨”があるとしたら。
唯一、それは、お母さんに喜んでもらえたという感動だったような気がする。
どの時代の、どの優れた芸術家も、子供たちには驚愕してきたものだ。
初期衝動から始まった自己表現は、徐々に技術も身につけていく中で、不要な認知と不要な前提、さらには、過程よりも結果が大切になっていき、そうして、子供から大人になっていく。
耳をすませば”地球屋のおじいさん”がくれたエメラルドの原石は、どんどん磨かれていくことで、実につまらないものになっていく。
そうなってしまった大人の芸術家にとって、子供たちが描く絵ほど、ショッキングな出会いはないという。
何より、それを描く子供たちの恍惚とした表情そのものに、芸術家は驚愕するのだ。
誰しも子供だったんだよなって、当たり前なことだけど、考えてしまう。
大人になった今、「風情」と「やりたいから、やる」という無条件な初期衝動は、失いたくないと思う。
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うをーー!!
あー・・・・役をもつ者、合わせ鏡の間に立つ者。。
無限に写し出される自分と役の姿。
それぞれ一個ずつに挨拶して理解を深める。
ああ、そんな一面もございますの。
その理解を体感にまで落とし込むと、もう自分は小畑大輔ではなくハルになっていた。
この体験は一生忘れられない。
この合わせ鏡の世界、凄すぎる。
なんてドーーーーーープなんだーー!!!!!汗
このドープな世界へと導いてくれたBAKEMONO。
改めて感謝です。
BAKEMONOトレーラー公開。
本番公開をお楽しみに下さいませ。
peace




2016年7月22日金曜日

「POPダンス」

本格的に踊り始めてから12年がたった近頃。
POPが楽しくてヤバい。
というより、POPの可能性の広大さと壮大さに今さらながら驚愕している。
音に合わせて筋肉をビクっ!とさせて気持ちいいダンスなんて...オタク気質極まりない。
ストリートダンスという華やかなイメージとは裏腹にオタク道を突き進むジャンルPOP。
この微細なディテール美学と同時にFunkyという大胆さを兼ね備えたPOPという身体表現は、アクロバティックな要素がないのにも関わらずエンタメとしても非常に優れている面白いダンスジャンルです。
不思議なダンスであり、非常に厳しいダンスでもあります。 
やはり謎に出場してしまうダンスバトル笑
あまりの実力主義に心が折れるときもあります。
ただ、バトル時でも生活時でも最終的に問われるのは「頭を真っ白にして、音に集中し、自分らしく気持ちよく踊る。」に限るなと思いました。
そういう意味で今日のWDC POPファイナルでは、とっても楽しく踊れました。
アメリカ代表さんに結果負けましたが最高に楽しかったです!
本当に良かった。。。 
これからも、自分のPOPを極めていきたいと思います。
応援してくれた皆様ありがとうございましたー!!!
引き続きリズマリズム、ジャパンダンスディライトに向けて頑張りまふ。
onelove




2016年7月8日金曜日

ダンス研究 / その0

最近、面白いことを聞いた。
それは感度のいいアーティストは必ずファーマーであるということだ。
スティーブという笛ふきと今日仲良くなった。
彼は、考古学の延長で楽器を扱い、実際発掘された楽器をモチーフにレプリカを作り、そのレプリカたる楽器を実際に吹くなり奏でるなりで歴史を紐解くということをしているらしい。
なんて、興味深いのだ・・・
それまで、遠慮していた僕のオタク姿勢も彼の前ならいくらオタク姿勢だしてもウェルカムだった。
そうだ、俺はダンスオタクなのだ。
ダンスが好きすぎてしょうがない。
この好きが高じて、オタクなどこが悪いというのだ、、
なぜか未だにコンプレックスを感じるときがある。
なぜなら、ダンサー同士でもダンスの会話が成り立たないこと多数だからだ。
それは知識とかのオタクではない、単純に自身の身体と向き合った結果の延長話だ。
それが意外とできない。
悲しい。
けど、スティーブは違った。
完全に楽器オタク否呼吸オタク否笛大好きなんだ。。。って感じ。
その彼から、興味深い話を聞いた。
先ほどの感度のいいアーティストは皆ファーマーだ。という話。
これは自分が感度のいいとかではなくて、今日たまたま、畑仕事していた時に思ったことがあった。
それは、この草の香り、土の感触、芽生えた時の喜び、こういうことを心から共有できない人と俺はどう付き合ったらいいのだろう・・・と一瞬本気で畑をいじりながら勘ぐったからだ。
あれ、俺、ちゃんと人間社会戻れるかな?
みたいな感じになった。
その勘ぐりは、逆然り、恐いを超えて、音楽なり踊りなりを表現する身として自然感覚、すなわち土に種を植えたら芽生えるという神秘を感じれない人には本来、踊りも音も奏で表現することってできないんじゃないか?
という確信にいたった。
その確信をもった後だったから、スティーブのその話を聞いて、うを!めちゃくちゃ共感!!って思ったのでした。

僕らダンサー、もともとは踊ることは神事です。
このことをちゃんと深く理解する必要があります。
いやいや宗教とかじゃなくてクラブダンスはなんなのさってあなた。
0から勉強してください、もしくはそのままクラブで踊っててください。
クラブで踊ることを否定しているのではないんです。
しかし、そのクラブで起きている現象も立派な儀式であることぐらいの感性はそろそろ共有したいと思っています。

これから、彼スティーブからの強い影響によりダンスオタクに完全花開いちゃおうかなって思います。

とりあえず、アイヌ舞踊から掘り下げていきます。

ある程度、研究成果がでましたらアップします。

peace