2016年12月31日土曜日

感謝2016年 - 祝2017年



2016年申年最終日。
もの凄く濃い一年となりました。
振り返れば、濃すぎる縁起と濃すぎる出来事の連続な一年。
一言、感謝に尽きます。

2016年、年の瀬にして鎌倉から代官山まで、お伊勢さん藁葺き神棚を背負い17時間ほど歩いて身体から湧いてきた言葉は、「 生かされている感謝 」でした。
ふと思えば、この地球上で生きているという事実は何よりの真実。
そんな当たり前なことを当たり前に過ごすこと - 日常。
けれど、食べ物しかり住む場所しかり、この地球という母なる大地が存在して成り立つ 衣・食・住 - 藝。
先ず、感謝すべきは今この瞬間、地により生かされているという事実なのではないかと思いました。

この地球・宇宙ともに無変ということは有りえない、岩盤でさえ少しづつ変化を続ける。
世は無常であり、その無常の対義語は日常なのではないかなと感じました。
良し悪しの問題ではなく、日常という概念下が存在する世に関しては、豊かさを意味していると感じます。
しかし、その豊かさ - 日常により、日々のこの瞬間を当然のように過ごし感謝を忘れてはならない。

生かされている感謝を心に来年酉年2017年は、

藝深一心集中 - 氣合いと脱力を駆使し、呼吸に身体をゆだね、正中線の上、ただただ徒らに歩み、生きて舞ります。

毎年恒例である年ノ漢字一文字。
2016年 は、「 極 」でした。
2017年 は、「 愛 」です。

締めに、2017年酉年 五七五。

旭の冬
天照す雲
出る鳥

あと数時間で2017年はじまり。
良き年越しをお過ごし下さいまし。
みなさま
来年も何卒、宜しくお願い申す!!!

one love

photo by 電池 a.k.a. 日本ノJimmyHendrix a.k.a. 黒執事

2016年12月23日金曜日

主演映画「BAKEMONO」


http://bakemono.info/
映画「BAKEMONO」サイトリニューアル。
トレーラー第二弾が配信。
チェケラしていただけたら、嬉しいです。

2016年12月22日木曜日

僕はストリートダンサー。

2016/12/22
これからの時代。 政治でAIを語る時代から、民衆がその課題を真っ向から向き合う時代になってきていると実感。 なぜなら、その当事者は政治家含む、大衆なんだ。 電車のれば、現代にすでに人工知能化が進んでいることを体感できる。 皆、スマホを片手にスマホの液晶画面に目を奪われ身体を失っている。 ここで、生きているという実感を失っている。 そのなかで、携帯番号を拒否し、スマホを待たず、ただただ、ひたすら歩むことに集中しだした人間の使命はなにか。 人間の尊厳はなにか。 それはシンプルに、人間の共通事項である、人それぞれには体がそれぞれに存在しているという事実。 私という単語は、私にしか使えないように。 私の体は、私の体でしかない。 他人の体は、自分の体として呼べない。 この地球・万象が産み出したシンプルな事実と共通事項にこそ、ブレイクスルーが存在すると思う AIとの共存が以後、これから必然的に進むと思う。 そのなかで、必然的に人間の尊厳が問われていく。 答えはシンプルだ。 体にしかない。 体そのものを機械化したら、その人はロボットというのだ。 その体そのものを表現媒体にしているダンサーという使命は、もはや舞台上で踊ることのみに専念する時代は終わったんだ。 路上に降りなければならない。 路上に降りて身体の素晴らしさをより多くの人々に伝えてかなければならない。 そういう意味で、この前の一本歯で歩んだ、あの時と空間は、ひとつの可能性が輝いていた。 歩むことを忘れた人間の身体は、消極性を表している。 しかし、歩むことを始めた身体は積極性を表している。 すなわち、踊りは積極性を意味することに通ずるのだ。 俺は、踊ることは歩むことと同等であることに、17時間以上の徒歩活動で見出したんだ。 俺は、この可能性に使命感を感じている。 ただただ、一本歯で歩むこと。 そして、その姿をみた老若男女の人々はなぜだか、こわばってた顔もふとほころぶのだ。 なぜか、おばあちゃんに手を合わせてもらえたり、おじちゃんに励まされたり、子供たちは笑ったりして、かつてのコミュニティーが生まれるんだ。 このコミュニティーこそが、この関わり合いこそが、人の美しさではなかったのか。 俺は、このことをなんとか、なんとか。。。 人々に伝えていきたい。 このことを使命とし、神秘なる舞台を地球上とし、霊という名の神の媒体者すなわち巫女となり、踊りというなの歩みも含め。

神秘なる舞台の上で、踊りをとおし霊となることに全ての命を使いきり、音を通し万象に身を託す。
これを我が人生とす。

2016年12月21日水曜日

鎌倉から代官山まで一本歯で歩く。


2016年12月20日深夜0時。
伊勢神宮にて購入させていただいた特大藁葺き神棚を背負い、鎌倉を発ちました。
神棚を我がマネージャー桑田氏の代官山事務所まで届ける。一本歯で。
出発時刻0時から17時間半かけて到着。
想像以上にドラマチックな旅路となりました。
この模様はロードムービーとして配信されるそうです。

僕は、17時間ほど歩いて移動してみてわかったことがありました。
それは、尽きるとこ「 生かされてる。」という実感であり、その実感を胸に「 感謝 」が沸き起こりました。
この試練を越えた今日感じるのは、これからの日々も、ただただ感謝を胸に、一歩づつ確かな歩みで前を向き生きていこうと思います。

今年2016年、年の瀬にして最大の試練。
無事、達成いたしました。
今年も本当に良き一年でした。
残る年越しまでの日々も一日一生。
 大切に生きていこー♪

peace

2016年12月16日金曜日

藝深一心集中

宮沢賢治

告別

一九二五、一〇、二五、
おまへのバスの三連音が
どんなぐあいに鳴ってゐたかを
おそらくおまへはわかってゐまい
その純朴さ希みに充ちたたのしさは
ほとんどおれを草葉のやうに顫はせた
もしもおまへがそれらの音の特性や
立派な無数の順列を
はっきり知って自由にいつでも使へるならば
おまへは辛くてそしてかゞやく天の仕事もするだらう
泰西著名の楽人たちが
幼齢弦や鍵器をとって
すでに一家をなしたがやうに
おまへはそのころ
この国にある皮革の鼓器と
竹でつくった管とをとった
けれどもちゃうどおまへの年ごろで
おまへの素質と力をもってゐるものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだらう
それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあひだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけづられたり
自分でそれをなくすのだ
すべての才や力や材といふものは
ひとにとゞまるものでない
ひとさへひとにとゞまらぬ
云はなかったが、
おれは四月はもう学校に居ないのだ
恐らく暗くけはしいみちをあるくだらう
そのあとでおまへのいまのちからがにぶり
きれいな音の正しい調子とその明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまへをもう見ない
なぜならおれは
すこしぐらゐの仕事ができて
そいつに腰をかけてるやうな
そんな多数をいちばんいやにおもふのだ
もしもおまへが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘をおもふやうになるそのとき
おまへに無数の影と光の像があらはれる
おまへはそれを音にするのだ
みんなが町で暮らしたり
一日あそんでゐるときに
おまへはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまへは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌ふのだ
もしも楽器がなかったら
いゝかおまへはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ