2017年12月6日水曜日

[ 今年最後のダンス公演!!!]



ダンサーという仕事には、様々な種類がある。
例えばエンタメ舞台におけるバックダンサー。
メイン演奏者と観客を繋げ盛り上げる中間者。
踊りを生き甲斐とし仕える事としている人間にとっては、重要な仕事の一つであることは間違いない。「現場」には必ず学びが存在している。
ダンサーが関わる数々の舞台の一つとして、ダンスそのものがメイン表現となる「ダンス公演」。やはり「ダンサー」としては最も試される晴れの舞台でもあり、最も恐れ多き舞台でもある。

ミュージシャンにとっては「ライブ」。ダンサーにとっての「ライブ」は「ダンスショーケース」すなわち「ダンス公演」となる。
かつて18年前。中学生であった僕は、ストリートダンサーとして90年代後半から00年初頭クラブカルチャーの中で踊り始めた。
当時のクラブイベントでは基本、「DJタイム」•「ライブ」•「ダンスショーケース」(時にグラフィティのライブペイント)とHIPHOP三大要素を大切にしたHIPHOPイベントが主流だった。(特に石川町Bridgeウェッサイカルチャーのスキンヘッドのお兄さんたちに囲まれて踊ったときは、本当に壮快だった。)
当時のストリートダンサーに与えられたクラブイベントにおける主たる使命は「ダンスショーケース」や「バトル」に懸けられていた。

どれだけ「ぶちかませ」たのか。

約20年となるダンスライフを生きる僕にとって一番命とりとなるのは、やはり「ダンスショーケース」すなわち「ダンス公演」となります。

今回、12月23日に東京は木場アースプラスギャラリーにて開演されるダンス公演「Requiem~序章~」に出演します。
作は、高原 伸子。
彼女を初めて見たのは11年前。
ダンスカンパニー「Noism」の「NINA」DVDで踊っていて、驚異的なダイムストップ(POPダンス用語:ロボット的なスムースな止まり方)を炸裂していた女性ダンサー。それが高原伸子さんでした。
POPダンスを死ぬ程努力して追求し5年ほど経ち「ダイムストップ」をやっとのことで体感しえたかな??のスキルレベルであった当時20歳ポッパーの僕としては。。。
「NINA」で炸裂するダイムストップを見る度に「バレーダンサーが数ヶ月でダイムストップを習得」しえる驚愕的事実(なぜなら僕は5年かかったのだ。)を目の当たりにする。ストリートダンサーとはいえ、同じダンサーの道を生きる身である僕は身震いをした。(となりでHIDALI 野口 量も震えていた。)

彼女と初めて踊ったのは2013年デュオ作品「地上の楽園」。
場所は同じく木場アースプラスギャラリー。
POPダンサーから身体表現の世界へと突入した全ての切っ掛けとなったダンス公演「地上の楽園」から4年少し。
まさか路上育ちの自分が、どうであれ、モーツアルトの「Requiem」で踊る舞台に立つ日がくるとは思ってもいなかった。
心からビックリスペクトを捧げるモーツアルトの音で舞うこと。
このシンプルにも壮絶な事実に異常な緊張感を感じつつも、喜びが生まれる。
それは作する高原伸子の異常にまで純粋な姿「自分の才を信じる。」
クリエイションをする其の姿には最早、藝術創造主からの啓示を受けているような域をも感じることがある。僕は、そのような大変貴重な神秘的でさえあるクリエイションに身を置いていることに心から喜びを感じています。

2017年、僕が出演する今年最後の出演舞台 「 Requiem~序章~ 」。
2013年「地上の楽園」から4年。
この4年間をダンサーとして生きて学んだことの集大成を発揮する舞台となります。
是非、皆様お誘い合わせの上お越し下さい。
この序章、ダンスシーンを超え舞台シーンにとっても必ずしや大いなる前進の一歩となること間違い無しと感じております。
全身全霊全力で舞ります。
ぶちかます。

- イベント詳細 - 

REQUIEM ~序章~

開催日時
2017/12/23(sat) 
<1st>15:00 
<2nd>19:00

開催場所
EARTH+GALLERY

入場料金
3000 
★各回限定50名様※★
Requiem~序章~ 昼の部、限定席残りわずかとなりました。夜の部も合わせまして完全予約制となっているため御予約をお早めにしていただけますと幸いです。

予約先
requiemjosho@gmail.com 
お名前、時間帯、枚数を明記上アドレスまでお送りください。

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< 作・演出 >
高原伸子

< 出演 >
OBA
笠井瑞丈
芝崎健太
中川賢(Noism1)
加賀谷香
高原伸子

<スタッフ>
舞台美術 鈴木康朗
舞台照明協力 高田政義
デザイン 金子洋典
協力 平井花苗
アシスタント 芝崎健太

▽ Requiem ~序章~ イベントページ ▽


•••

呼ばれる女と祈るおんな

黙るおとこと揺れているおとこ

生まれ変わりと生まれ直し

さぁ 踊ろう

•••

モーツァルトの名曲「レクイエム」に集い舞う
そのからだは祈りとなる。
私たちの細胞、記憶に宿る幾千もの目には見えぬ死者たち
そして「今」を命懸けで歩む私達一人ひとりの
ひと時の安息となり明日への架け橋となることを願います。
今回は「Requiem」序章となります。
どうぞお立ち会い下さい。
   
高原伸子
•••


いやー、、、単純にめちゃ楽しみっす!!!鼻血

OneStageOneLife
小畑 大左衛門 a.k.a. OBA




2017年11月29日水曜日

鎌倉クリエイティブスタジオ SeeSaw

今から4年半前、2013年6月に鎌倉市長谷で数十年空き屋だった和洋折衷古民家と出逢いました。数十年空き屋だったこともあり、絵に描いたような「お化け屋敷」と化していた。しかしながらジブリファンである僕は完全に「え、てかリアルトトロじゃん。」と一目惚れ。

この「お化け屋敷」を「神社」のように一呼吸たる癒しをもって氣づきをえれるような。。。そのような「みんなにとって喜びとなる共有空間」ならびクリエイティブスタジオにしたい。
そして世における「善と悪」を代表する二分化の時代に、藝術を通して対極的要素を「調和」する「 和 = 輪 」のコンセプトを地元鎌倉から日本そして世界へと向けて掲げていきたい。その意味合いも含め、公共目的の公園にある遊具のシーソーが右と左どちらかに傾くのではなく均衡を保っている状態を調和の象徴とし「SeeSaw」と名付けました。


足音一つ鳴らない寂しい空間と化していたお化け屋敷も今では皆様のお陰で子供たちの笑い声や足音、美しい音楽が鳴り響く共有空間となりました。先ず手前に一昨年、維持困難に頭を抱え手放すか否かの極限となっていたときに中本まさお氏•井上ともこ氏(現:NPO法人共有空間 副理事長)が「どうにかして維持しようよ、一緒にがんばろう!」と救世主として現れたくれたことにより、今日のSeeSawがあると強く感じています。

その奇跡的な出会いから、この2年で本当に沢山の良き急展開。もちろん頭を抱えることも沢山あったけれど、人との御縁には本当に恵まれていたと感じております。
沢山の有り難き御縁によるプラスMAXポジティブ周波数のお陰か、、、な、、なんと今月!二年前から模索していたSeeSawの前にあった空き家が解体されることに!!!来年からSeeSawの庭がいっきに広くなります!!!号泣

現代の鎌倉は、本来観光地産として何よりも景観を大切にしなければならないはずなのに「コンビニ」を代表する大手フランチャイズ企業の進出により美しき歴史的景観が失われつつあります。
その現代に、かつての昭和原風景が鎌倉市長谷に還ってくることは非常に有意義であると感じております。またそれ以上に、SeeSawがさらに開かれた共有空間となれること。この御縁の巡りに深く感謝を感じております。

2018年SeeSawを共有する皆様にとって、さらなる良き展開を目指していきます。2017年の感謝と2018年の望みを込めまして12月3日 材木座 海沿いのキコリ食堂でSeeSaw主催 望年会を開催いたします。SeeSawや鎌倉に縁のあるアーティストを中心にライブ、ダンスパフォーマンス、ワークショップをおこないます。小畑家三兄弟全員参加します笑(長男DJバッチ、次男ダンサーOBA、末っ子シンガー小畑 仁)是非皆様、お越し頂けましたら幸いでございます。
望年会ではダンサー人生約20年の内、初の挑戦!!(挑戦内容は当日お披露目とす)をフォークシンガー小畑 仁(弟)のライブ時にやります!!!!兄弟コラボになります。観てほしいです!!!!いやはや、、、2017年!!!!年末!!!今日こうして元氣でいられるのも本当に皆様のお陰様でした。感謝に尽きます。これからも何卒!宜しくお願い致します。

peace

小畑 大左衛門 a.k.a. OBA






2017年11月14日火曜日

主演映画「BAKEMONO」OWTFFグランプリ受賞





この度、映画「BAKEMONO」が、「オープン・ワールド・トロント映画祭」にてEXPERIMENTAL部門グランプリを受賞しました!

「EXPERIMENTAL」とは「実験的」という意味ですが、今回の賞においては「枠にとらわれない、創作的でオリジナリティの高い作品」という定義のようです。

「ワールド・トロント映画祭」は、11月17日〜19日の三日間開催されます。「BAKEMONO」は、最終日19日に上映と授賞式が行われ、大嶋監督が現地入りする予定です。

皆様からの応援あっての受賞と、心より感謝を申し上げる次第です。本当にありがとうございます!!


BAKEMONO トレーラーpt,2
https://www.youtube.com/watch?v=QgkwMX0DcX8
BAKEMONO トレーラーpt,1
https://www.youtube.com/watch?v=27Or6SNIQp4





2017年10月23日月曜日

ハロウィンで猫踊りします。

10月31日ハロウィン。
銀座で、妖怪レベルの猫踊りをしたいと思っております。
音を担当していただくのは、地元湘南のこわい先輩でありビックリスペクトを捧げる地球音薬師 ゆうくん。
ゆうくんの音で、ハロウィンキャットに化ける。
もはや西洋的な要素はどこかへと飛び去り、東洋的妖怪猫(あばら骨が浮き出ている猫的イメージ)へと化けること間違い無し。
結果、愉快に終わらせたいと願いつつハロウィンですから、、、いつも以上にエグくいってもいいということだろうか。。。
とにかく楽しみにしております。
皆様ハロウィンパーティーついでに銀座にお越しの際は是非ご拝見いただけましたら幸いです。
ぶちかまします。


2017年10月10日火曜日

OneStage OneLife - 進撃のダンス



本物で在り続ける。
ダンサー佐藤洋介氏と、漢(ヲトコ)の約束を交わした。
時は、今年7月頭、進撃の巨人 - 進撃の軌跡ライブツアー初日。

進撃ツアーダンサーは男女2人ずつの4人。
男性ダンサーは僕と、ビックリスペクトを捧げる超絶ジャズダンサー 佐藤 洋介氏。
命がけで踊る舞台上で、この上ないパートナー。
毎舞台、圧倒的な刺激をバシバシ受けている。
そもそもジャズダンサーとポッパーが二人並ぶこと事態、異例。
しかも振付内容は、ジャズダンスを超え「進撃ダンス」という新ジャンルに昇華していると思う。
ダンス業界の人も存分に楽しめる舞台になっています。

今年7月から来年1月まで続く全国ツアーで一公演一公演、ずつ、全命をかけて踊りきる。
振付師 紀元ゆう氏の演出を僕なりに理解するならば、
それは「死に物狂いで踊る姿」すなわち「刹那」そのものに魅せたいコアがあるのだと感じた。

だから、もちろんクオリティーは絶対だけど、それ以上に、生ものの極みである身体表現による 「ライブだからこそ味わえる覇氣」をお客さん、ボーカル、ミュージシャン、スタッフ全ての臨場感に合わせて踊りで爆発させることに

集中する。

毎曲、休間なく続く怒濤の振付け。
ブラックアウトならぬホワイトアウト即ちランナーズハイならぬ進撃ダンサーズハイを舞台上で初めて体験した。
舞台袖に倒れ込み、キツすぎて泡吹いたのはダンサーとして初体験 (笑  最高に追い込まれる踊り。
ドMドSダンサーである僕としては「踊り甲斐」を絶頂に感じさせて頂いている毎舞台。
ダンサーとして、幸せでしかない。

走っては、飛んで、きって、きられては、立ち上がり、踊り続ける瞬間瞬間は「究極的刹那」でしかない。
ダンサー、アーティストとしてツアー中の全ステージを究極的刹那すなわち「OneStage OneLife」とする。

舞台上で死ねる覚悟が無ければ、表現者-舞台人として生きている価値は無いと感じている。
僕が表現者として生きている意味は、一舞台に全人生を懸けることだ。

舞台人、ダンサーとして、一日一生を体現する妥協無き「本物」で在ること。
武士あらためサムライダンサー 佐藤 洋介氏と繋いだ約束。

僕は、このツアーを通して
「一日一生、初期衝動をもって、一歩一歩を大切に、心は不動で有れ。」
鎌倉から島根 出雲までの28日間徒歩の旅で学んだ心得を、全身で実感している。

進撃の軌跡ライブツアー。
タイミングがどこかで合いましたら、是非拝見して頂きたく強く感じています。
振付 紀元ゆう氏はもちろん、共に踊るミナミ氏、あゆ氏。
そして、佐藤洋介との初演で交わした約束は、今日まで続いている。
みんなで0ne Stage One Life。
次の香川も同じです。

全身全霊全力をもって命を尽くして舞ります。

進撃の巨人 - 進撃の軌跡ライブツアー詳細▽


one love & one stage one life

小畑 大左衛門 a.k.a. OBA 

2017年8月5日土曜日

意識と無意識

記憶に留まる意識的作用。

体験に留まる無意識的作用。

基本的に、朝起きては夜寝る生活を営んでいる僕らは

意識と無意識を行ったり来たりしている。

もちろん僕らは目覚めた意識と眠っている無意識(潜在意識)であっても呼吸をし続けている。

意識的な時間でも無意識的な時間でも、僕らは心臓が動いている。

意識と無意識の対局要素をつなげるのは、生命活動ならぬ「生きている」という事実。

対局的に存在する要素に対して、ポジとネガ/善と悪/快と不快のような感情的作用を無くした時。

+と-や北と南のような事実的対極作用を、俯瞰的な姿勢で認めることが出来る。

当り前のように意識と無意識に対しても、どちらが善で悪であるかなどの定義付けほどバカらしいことはないと思う。

目の前に起きている、朝と夜のように光がさすときもあれば深い闇に包まれるときもある。

朝日が上った時には朝日を眺め、夕日が落ちれば夜空に浮かぶ月を眺める。

どちらにしても言えることは、世に存在する対極的作用に対して僕ら人間は受けとめることしかできない。

内的、精神的な喜怒のような感情的対極活動は世における朝夜に対して非常に不定リズムな現象だと最近つよく感じる。

というのも、めちゃめちゃハッピーなときもあれば地獄のような怒りを味わうときもある。

けど、どちらに対しても言えるのは、結局その感情は自分が感じているだけであって外的な現象の問題では究極、無いということ。

その感情的対極作用に振り回される日々を送ると、目の前に起きている自然の対極作用からの学びが失われる。

ハイでもなくローでもない。

ミドルな世界を感情に託したい。

あくまで普通で居る。

目の前の現実は、どうしようもなくめまぐるしく対極要素を行ったり来たりしている。

人間における内的/精神的 対極要素を中間地点におき、あくまで普通に在り続けること。

それは世における対極要素を全面で受け入れる平静さを得ることに繋がっている。

僕は、最近つくづく「 いつなんどきも、普通で在れ。」ということから多くを学んでいる。

それでいながら軽く口角を上げて微笑のスタンスを持ち続ける。

それが、意外と難しい。

都内の電車やバビロンに包まれたとき、微笑は畜生な雰囲気になってしまうときもある。

けど、それでも心から平静さを持ち続けるためには一重に呼吸に集中することが一番効果的。

呼吸を静かに意識するとき、それまで多分な要素をしめていた意識的作用が少しづつ無意識的作用へと移行していく。

身体に対しては意識的となり、心すなわち内的感情ならびに知的行為に対しては無意識的となる。

まさに踊りをしているのと同じ状態。

身体に意識的になると自然に心は静まる。

そこから必然的に、身体からドラマが生まれ、すでにおきたドラマに内的作用が追いつく。

この身体先導式生活様式は、すなわち「 生きている今が映画 」となることを意味している。

この世における何十億の人々の人生というドラマすなわち映画が存在する。

一人一人にしか見えない世界がある。

人は必ず体感をもつ身体が存在している。

すなわち外的要素をつなぐ、何かしらの体感認識が存在している。

僕らは身体の体感により外的要素を認識するんだ。

一人ずつ、その人しかもちえない体感認識により一人一人それぞれのドラマ/映画。

その究極的視聴者は、この身体をもつ本人である「我」に他ならない。

この我たる視聴者は、今目の前におきている現象/現実にたいしてワクワクしているのか。

これから先の展開にワクワクしているのか。

それとも今日までのドラマがあまりにもツマらなくて退屈になっているのか。

僕ら人間は自分の人生における圧倒的視聴者でありながら主役演者でもある。

客観的な要素を持ちつつも、当事者的に「行動」が起こせる事実。

この事実は、始めに書いた意識的行為と無意識的行為に繋がる。

視聴者と演者を同一に兼ねている僕ら人間は、自身の人生に対してドラマすなわち映画を生きているという認識。

一人一人ずつもつ、一つ一つの人生。

人生はドラマ/映画。

人間の人生は、視聴者と主役演者が同一。

視聴者と主役演者/意識と無意識

今を生きる、この瞬間が既に映画。

その認識が、人間の内的対極要素を調和に向かわせる。

その調和が生まれたとき、目の前に広がる現実たる世界は色彩をおびて展開を魅せてくれる。

その展開を美しく生きるかどうかは、我たる自分に託されている。

視聴者/主演役者を超えたディレクター、僕は自分の人生ドラマにおける監督となる。

その覚悟から、今を生きるドラマをいかにして美しくワクワクさせていくか。

その責任がようやく、自分に戻ってくる。

誰でもない、自分の人生を歩む我に対して。

ようやく責任が還ってくる。

この責任は、つきるところ人生の使命における忠心に他ならない。

この人生における使命を全うする責任を得たときに、僕ら人間は自身の人生における監督となる資格を得るようなきがする。

他ならない自分自身の監督として、受け入れるところは受け入れ、出来る限りの行動を通して使命を全うしていきたく考える。


そんな、今日この頃でした。

2017年7月16日日曜日

今を生きる


バーチャルリアリティ(VR)という言葉は元々シュールレアリスムの詩人アントナン・アルトーの造語であったということに衝撃を覚えていた今日の朝

昨日の衝撃的な時空に浸る

昨日は

今をトキめくヘアメイクアーティスト Yumiko YahataとフォトグラファーShogo Yoshidaによる

「 A RAKAN 」

という展示会のオープニングイベントにて舞ってきました

パフォーマンス内容は 今年に入ってから急激的に濃厚な縁起いただいている最早おれの兄貴 地球音楽士 宗田 悠さんとの即興コラボセッションでありました

開催場所は America Bashi Gallery

キャパの関係性やお客さんのスタンス 様々な点が交差し織りなし今日までたくさんステージを踏んできたけれど・・・昨日のあれは・・一体なんだったのだろうと振り返る


最近 踊っていてきづくのは踊り手というのは本来 ミュージシャンやその場にいるお客さんの盛り上げ隊だったんだじゃないかなー・・・と強く認識する現場が多く

というのも現在は俗に言うバックダンサーのような仕事もしている中で ボーカルとお客さん・ボーカルと演奏者・演奏者とお客さんのようにボーカルである人の色づけとしての踊りから演奏者を鼓舞させる役割からお客さんに具体的な踊りの衝撃や感動 そして共に踊るうえでの架け橋として 多々限りない「中間者」すなわち「中継(なかをつなぐ)者」として役割を全うする

バックダンサーと一言で言っても舞台上に立つ限り認識しなければいけない要点は尽きない・・・

盛り上げ隊と言ってしまうとバレーダンサー一筋の人とかコンテンポラリーダンス作家?の先生やBUTOHマスターに怒られそうだけど・・・

エンタメとアートは違う

たしかにそう

というか絶対に違う

けど・・・昨日の体験では・・・昨日のギャラリーで舞った俗にいうアート的方向性の表現においても感じた同等な何かが存在している

僕は
エンタメとしてのバックダンサーで感じたことと
アートとして昨日ギャラリーで舞った即興身体表現者として感じたことに

対極な舞台それぞれには感じれえない共通の身体感覚が確かに一瞬 あったんだ

その一瞬の感覚は尽きるところ 「 氣巡り運氣開運 ばっかーーーんん!!!!」というような 踊っている時空に存在している人々と共に地場的なレベルでのエネルギーから全員の元氣玉をもって今この瞬間を盛り上げきっていくぜ!!!

みたいな一瞬

ダンスバトルしていると結構ある
今は分からないけれどダンディラもそうだった
エンタメではよくある


しかしながら昨日の現場のようなTHE ARTのような世界での表現でバッカーーン!!!という感覚になることはやはり少ないというより もっと何というか静寂であれるというか・・・

しかしながらそれでもその静寂なりの極限の集中力を駆使して突き詰めた一点は尽きるところ・・・

バッカーーーン!!!というか・・( 汗

つきるところ 今この瞬間に 生ききっちゃおうぜーー!!!と一瞬なる時空


この一瞬を味わってしまうと・・・僕はもうダンスの呪いから離れられない


それまで他人であった人とも

それまで考え方も違った人も

それまで喧嘩していた彼女も


ステージ上で踊りだしたら もうそこは単純に「ぶちかませ」となるストリートダンスシーンで育った僕としては

舞台から見る世界は 「愛」の世界だった

これは本当で 結局お客さんもアーティストが舞台上に立った限り「ぶちかましてほしい」とは思ってくれてると思う

「最低なパフォーマンスしろー」なんてお客さんは本物ではないでしょう

そういう意味で結局はポジティブに向かう このダンス現象というのをストリートダンサーとして存分に味わってから

あくまで大人な冷徹極まりないコンテンポラリーダンスの世界に入った

当たり前話 舞台前にお客さんが「おばさーん!」なんて呼んで盛り上げようものならコンテンポラリーを観に来ている質の高いお客様達にガン引きされるだろう

その世界に入ってから一種の踊りやすさのようなものは感じていたけれど

しかしながら昨年スペインでコンテンポラリーダンス作品を踊ったときにも

尽きるところ スペインのお客さんたちの目の奥に潜む普遍的な恐怖心というものを震わせたかった

そうすると集中力は 目の一点に定められる 
その一点とは 後頭部に存在している俯瞰的な第三の目

その第三の目と
合うはずのない お客さん全員の目と

バチコン合う瞬間が存在している

そのときに確かになにかしら共有する何かを共に感じている人間達が同じ空間に存在しているという事実をもって

何か大きな「うねり」の揺らぎの萌えを感じるトキがある


その瞬間はストリートダンス業界で味わってきた結果 ポジティブの感覚と同じだったんだ



これはバックダンサーをしていてもアートの空間で舞踏手ですか?と質問されるような踊りをしている空間であったとしても

志は一つ


身体表現者として 運氣を巡らせるのだ

舞うことで喜びとなるように

尽きるところ そこにつながるのだと

今日はこのへんにしておこ






2017年5月3日水曜日

美しい路

美しい路に生きたい。
どれだけ醜く汚らわしい路であったとしても心は美しくありたい。

美しいというのは、一体なんの根拠をもって定義できるのかは各自人それぞれだし謎。

けれど、美しさというのは本来は普遍的であるのではないかという直感に目を背けることができない。
例えば、朝日から夕日、どこまでも広がる晴天や光り輝く緑の山々や心と共に解放される水平線などに対し汚らわしいと思うのならば、その心が汚らわしいというのは間違いないのでは と感じる。

美しいという言葉自体が死語になりつつあるのに対し、愛という言葉も現代では死語になりかけてはいないか。

愛という心情・情景を感じるのには難しい日々を過ごす中では、愛という言葉を受け取った時点で胡散臭く感じてしまうのも仕方がない。事実、私も愛という言葉を発すること自体、勇氣がいる。それは私自身が未だ弱いのか気にしすぎなのかはわからないけれど、事実人々の反応は賛否に分かれるのを感じる。

けれど、それでも、どれだけ美しさや愛が否定される時代であったとしても、各自が持ち合わせる美しさや愛は正義という普遍性へと繋がっていることを信じたい。

情報媒体では緊張感の漂う現代の中、実際の日本の実情を直視したとき、これ以上のない平和が目の前に広がっている。

情報の中での緊迫状態に対して、目の前の現実のギャップに違和感を覚えるのは私だけだろうか。

この情報内での緊張が、現実となったとき、間違いなく混乱となる。

その混乱となるとき平静さに導くタスキとなるのが、その人本来が持ち合わせる誇りと愛なのではないかと思う。

私が一番、心配しているのは平静さを失うことであり混乱となった暁、隣人愛を失うことだ。

ダンサーとして、このような発言は避けていたいけれど、これから表現者として生きていく上で、かつての激動を生きた藝術家がそうであったように、表現の裏側に存在する意志からなる『想い』を発すことは、これからの時代、重要になってくるのではないだろうかと考える。

この地球は、美しい。

この世の美しさを身体で表し現ることにより、ダンサーとしての使命を果たしたい。

これからの時代において、美しさと愛をもって、どこまでも諦めずに踊り即ち身体表現を創造していかなければならない。

その作品の一つとして、3月28日から4月24日までの28日間による鎌倉から出雲までの徒歩移動。
歩むこと、二足歩行、この身体運動は世界人類共通事項。

この『歩むの再生』そのものが、ダンサーとしての急務と考え実践に移した。

人間は一度決めた目標地点に一歩踏み出し、諦めず歩み続ければ必ず到着できる。

歩むの再生は、自身が持ち合わせる意志と氣力への信頼再生でもあると考える。

美しさと愛による平和への希望を失ってはいけない。

そのために、先ずは私は鎌倉から出雲まで歩んだ。

この歩みにより学んだ実体験を、ネクストステージで表現していくことが次たる目標。

一日一生、初期衝動をもって一歩一歩を大切に、心は不動で有れ。

我が路、美しさと愛をもって歩み続けて参る。

peace & one love

小畑 大左衛門



[ 愛による平和 ]

世界人類共通事項、二足歩行。
二足歩行すなわち「歩む」という歩行移動は、全人類共通移動手段。
現代、車から宇宙船まで移動手段には困らない時代に
約700km以上となる鎌倉から出雲までの移動手段を「歩行移動」とする。
結果、3月28日から4月24日までの28日間をかけた徒歩移動となりました。
徒歩移動をしました私 小畑 大左衛門(31歳)と同志 大宮 大奨(29歳)は、生まれた頃から車が存在していた時代に育った現代人。
遠出をするのなら歩むより車か電車を利用し、徒歩移動の概念を失っている軟弱な現代人代表三十路世代。
かつての先人は博多から江戸まで徒歩移動していたという。
歴史では事実とされているけれど、、、冷静に考えて「それって、めちゃ凄くない?」と思う。
その先人は、歴史を動かすほどの意志を持って約30日間を徒歩移動に費やしたのだ。
単純に、かつての先人が実現できたのなら身体を持ち合わせているという点と歩むという点は現代人である僕らにでも共通している事項である。
ならば、徒歩移動を忘れた現代人の僕らでも、できるはずだ。
しかも、僕らは今日まで15年以上ダンサーとして身体と向き合ってきたのだ。
鎌倉から出雲まで歩むことが出来ない、はずがない。
(しかし実際に歩み始めると、どこまでも先人は凄すぎであることを痛感する。)
現代において移動に時間をかけた時点で、慰安旅行か世捨て人とされる。
しかし、かつて交通機関が存在していなかった時代において、
徒歩の遠方移動は意志と氣力と体力こそが試される正念場であったと今だからこそ理解する。
バーチャルがリアルに、リアルがバーチャルとなっている時代。
目の前に広がる風景を見る手前に、液晶画面に目を奪われる時代。
鳥の鳴き声を聞く手前に、イヤホンで耳を閉ざす時代。
この時代だからこそ、僕らは人情と豊かな自然の優しさから成る愛による平和を全身を持って体感したかったのだと思い出を振り返る。
時代も人種も関係のない共通事項である「歩む」という身体運動/身体表現。
到着するまでの28日間の間、想像を超えたリアル人情ドキュメンタリードラマを僕らは生きました。
雨に打たれ風に吹かれトンネルの闇に数時間耐え寒さに骨の随まで冷えきって凍死寸前を体感しつつ野宿をする日々。
人の情けと晴れやかな温かくも豊かな自然たる万象の助けが無ければ、期限付きの700km以上の旅路は絶対に成就し得なかった。
出雲に着き、心に残ったのは「全てにおき、感謝」でした。
鎌倉から出雲 徒歩の旅 成就まで本当に多くの人々に助けてもらいました。
この感謝を還元する意味においても、3月28日から4月24日までの28日間リアル人情ドラマドキュメンタリーを文字化します。
紙に印刷して「本」という物質(リアル)で共有できるようにベストを尽くして参りたいと思います。
長くなりましたが、何はともあれ皆様のお陰で4月24日!
鎌倉からの徒歩の旅、出雲大社到着いたしました!!!
心から感謝を申し上げます。誠に、ありがとうございました。
--- --- ---
歩みつつ
どんなに足が痛くても、なんとか踏める一歩は確実に目標地点へと近づいている。
どんなに辛くても、噛み締めて踏み出す一歩こそ振り返れば自信に繋がっている。
一歩一歩を大切に、心は不動で有れ。
one love
小畑 大左衛門
ps
ご報告遅くなり申し訳ありませんでした、、、数日、放心状態でごぜいました。
peace




Photo by Yoshihiro Saeki


2017年4月12日水曜日

「 歩む。」

僕は今、滋賀県 近江八幡にいます。
鎌倉から歩いてきました。
鎌倉から近江八幡まで約380km。
ガンジーの塩の行進距離380kmと同じ距離。
かつて独立を目指したガンジーが歩むことで証明しえたことは何だったのか。
それは意志の力、すなわち氣力であったと今 ぼくは感じています。
4月24日までに必ず、島根県 出雲大社へ歩んで参る。
鎌倉から出雲大社までの旅も後半戦。
一歩一歩を大切に歩む。
明日、京都へ入ります。
4月14日 京都 四条大橋でダイスキーズ路上パフォーマンス予定でございます。
もし近くにいてお時間がある方、是非会いに来てくれたら凄く嬉しいでごわす。
ps.
3月28日、鎌倉出発後数え切れない人情への感謝と奇跡。改めて文章へとおこさせていただきます。
今日アップされました滋賀県 東近江 野々宮神社の宮司 中島さんとのトークセッション。82歳となる大先輩とのセッションはこの上ない学びに満ちておりました。是非、チェケラしていただけたら幸い。
https://twitter.com/DAISUKESchannel
https://www.periscope.tv/DAISUKESchannel


2017年3月28日火曜日

「 はじまりからはじまる。」

昨日無事、ダイスキーズ初となる新作公演「刹那仁王舞」がとりあえず終演し、改めて本格的なスタートを切ったことを強く自覚いたしました。さらなるクオリティーへ。一生をかけて精進してまいります。
そして明日朝、鎌倉から出雲大社へ向けて徒らに歩く徒歩移動の一歩目を踏みます。
到着予定は4月24日。約一ヶ月間ほどの徒歩移動。
今はもう、言葉にすることさえ難しい感覚が身体を渦巻いています。
一言でいうなら・・・ワクワクです!!!
では行って参る!!!
ライブ中継されるようなのでご興味ある方は下記URLをチェケラ。
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Daisukes - だいすきーずのツイッターアカウント、ツイキャスならびにPERISCOPEでライブ配信行います。
https://twitter.com/DAISUKESchannel
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ps
写真は昨日一年ぶりに集合しました小畑三兄弟レペゼン写真(後方に映るは青森が生んだ奇跡の詩人 虎氏)とダイスキーズが所属するレーベルDOMO.IncのBoss Da Crazy 桑田氏との写真でごあす。Photo by 佐伯 叔洋 (Yoshihiro Saeki)
ぶちかます。



2017年3月1日水曜日

DAISUKES 新作公演「 刹那仁王舞 - Setsuna Niou Mai - 」





「 身体表現を追求いたす。」

我の所属するダンスユニット「DAISUKES - ダイスキーズ 」では、身体建築すなわちダンスアーキテクト的な姿勢で振付たるクリエイションを展開する。

共に建築家志望であったけれど結果ダンサーな僕とDaisuke Omiyaは、きづいてしまった。

きづいたら、XY軸で身体を捉えていることに。
そして、力点作用点で身体の重心を捉えていることに。
重力をできる限り、両肩・胸上部に落とすことにより
トウシューズを履かなくても、
両足の親指と人差し指で、直立できる事実を我の身で証明したり。

この衝動は、もはやダンサー通り越してダンスアーキテクチャーなのではないのだろうか。
なので作品におけるスタディもかなり具体的である。
作品「刹那仁王舞」におけるスタディ先は、

・一本歯(一本下駄)歩むという基本動作から踊りを学ぶ(道具からのスタディ)
・風姿花伝 観阿弥の哲学から踊りを学ぶ(本からのスタディ)
・湾曲 柔質な身体を追求してきたコンテンポラリーダンサー Daisuke Omiyaと鋭角 硬質な身体を追求してきたストリートダンサー ポッパーの小畑 大左衛門 a.k.a OBAの二者による極地から学ぶ(実践からのスタディ)
・舞踏 / 舞楽 / 神秘舞踊などからの学び(歴史からのスタディ)

等々、具体的なスタディをもち、さらに、それらのスタディを最終的に全て忘れる。
その先に、全く新しい身体表現を模索し構築していく。
思考から体感への道譲り。
という経路を辿っている。

そして、とても重要な試みが既に映像でも表現されている。
それは

ダンサーも音を奏でようの巻。

ダンサーとミュージシャンという分業化の極み。
それが現代だと感じている。
ダンサーが音楽をしない時代から、する時代へとなっていったら楽しいのになと感じる。
ダンサーも楽器を手にとって音楽して、自分の踊る音楽を自分で奏でて作ったり、もしくは奏でる側にまわって、踊る側を客観的にみてみたりして。
どちらにしても言えるのは、ダンサーにとって楽器を奏でることは非常に有意義であることは事実であると思う。

フレームドラムと出会って、踊ることの価値観も同時に変わった。
歩くリズムも自分で奏でているリズムであるという当然の事実に、耳が変わる。
ダンサーが踊って、新しい身体感覚を得るように。
踊る身として、音楽を奏でることは最高な相乗効果を生む。
そのことを証明すること。
新作公演目的の一つです。

どうであれ、きづけば3月も手前まできています。
全身全霊全力を尽くし新たなダンスフィールドへと確実に着陸いたす。
peace
小畑 大左衛門

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Title:
「 刹那仁王舞 - Setsuna Niou Mai - 」
Day:
2017年03月26日(日)
Place:
Studio ARCHITANZ
詳細はおって、アップいたします。

2017年2月24日金曜日

踊る人


ダンスと出会って、今年で17年目となる。
中学三年生のときに出会って、今日までダンスから多くのことを学んだ。
ダンスと出会う前の当時、学校における自分の存在感の無さに違和感を感じていた。
教室にいると、なんだか申し訳ないきぶんになり、長居はできない。
スケボーに熱中していたけれど、スケボー仲間は校内に弟含め三人いるかいないか。

学校にスケボー持っていけないし、勉強も楽しいと思わないし、体育もやたら順番つけたがるのに嫌気がさしていたし。

そこで、出会ったのがダンスだった。
兄が5歳離れているので当時中学生だったけれど石川町の横浜産ウェッサイ G-Funk HIP HOPカルチャーには馴染みがあった。
たまに忍び込むクラブイベントで、男なのに、めっちゃかっこよく踊っている人々をみたときは、衝撃だった。

ダンスというと、もっと女の人のもの的なギリギリ昭和生まれ世代の僕としては、スキンヘッドで体をピクピクしてロボットダンス風の動きをしている漢をみて、即、憧れた。

そこで兄づてに後部座席ウィンドウも全て黒塗り車を持つ地元の先輩を紹介してもらった。
強面の車に対して、降りてくる兄貴は、今おもうと「ただの中二病」だった。

20歳手前にして母校である中学に車で遊びにくるって、今30歳迎えた僕からすると「大人そのものを象徴していた厳つい先輩も、ただの中二病な愛くるしいカス(良き意味で。)な大人だったんだ。」と思う。

その先輩から、初めてロックダンスを習い母校の玄関入り口ガラスに映る、踊っている自分の姿をみたとき、衝撃を受けた。

なんてダサいんだろう。

身体で表現することの難しさに取り憑かれた。

そこからダンスに熱中し、同校の番長も一緒に踊り始めたりした。

身体表現の難しさに取り憑かれてから
人前で初めて踊ったのは、学校の多目的室にて。

初めて、友達の前で踊ったときの瞬間が今もなお続いている。

人前で初めて音楽に合わせて踊ったとき、動いた、あのときの風。

それまで人だと思って接していた友達が、「踊る人」になった瞬間。

踊る側と観る側という関係性が、明確に生まれた瞬間。

それまで認識されてなかった自分が、踊りを通して新たな自分を人に認識してもらった瞬間。

今までの違和感が、全て消えた。

踊れば、人は喜ぶ。

中学三年の多目的室で踊ったときの瞬間は、喜びに満ちていた。

踊ったあと、友達が「 キレがヤバい。 」と具体的なジャッジをくだしてきたのを歯切りに、今日まで16年間 キレを追求してきた。

それまで自分という存在と社会における自分の存在感の相違に違和感を感じてきた。

言葉を必要としない踊り。

道具を必要としない表現。

我の身体そのもので表し現れる者。

身体表現者たるダンサーとして生きて行くことを決意してから今日まで、踊りは本当に多くのことを教えてくれる。

本当に限りがない。


最近は、踊りから、生きる上で大切な呼吸による健康や、姿勢の重心移動で腰痛は全て治るとか・・・健康面まで学んでいる。

是非、ダンサーとして、ダンサーに限らず多くの身体をもつ全ての人々と共有したい。

ダンサーによる健康促進実践秘話。

テーマ、「健康に一日一生。(仮)」


どうであれ、踊ることで救われた身として若年ではあるけれど身体と真剣に向き合ってきた。

その追求により、世のため人のためになる共有身体健康向上事項は多数あると思われ。

健康とは、身体たる健全と合わせ、精神面も合わせたことをいう。

姿勢を正せば、心も正す。

これ、真実なり。


感謝
one love



小畑 大左衛門

2017年2月15日水曜日

徒らに歩く。

我の身、手前で信じず、何を信ずるのか。

歩む。

ただただ、徒らに歩む。

歩む時間を「移動時間」として捉えるのか、「徒らな時間」として捉えるのか。

ただの移動時間として捉えた場合、電車や車のほうが早いし効率が良く体力も使わない。

この時代に、徒歩移動をするという姿勢は、まさに「徒ら(いたずら)」でしかない。

人に無意味と思われようが、アホだとかバカだとか思われようが体外的な要素には全て頭を下げる。

家から田町まで徒歩移動をすると片道5時間半。往復で約11時間ほどになる。

田町での稽古は約4時間。

家を朝出発して、昼過ぎから夕方まで稽古、夜が深まる頃に家へと着く。

稽古時間よりも、移動時間のほうが長い。

この移動時間たる徒歩の時こそに、稽古以上の学びや氣づきや閃きがある。

稽古は、「整理作業」に近い。場所に留まり、まとめ作業に集中する意味合いで理にかない、稽古が弾む。

僕の尊敬するベートーベンや羽生さんも、歩く。

ベートーベンは歩きながら作曲をし、羽生さんは試合前に必ず歩く。

歩くことは当然な事実として、移動手段として自らの足を使う。

自らの身体を用いての移動手段。

移動するために切符も買わなくていいし、運転もしなくていい。

必要なのは、自らの足の運動と氣力だけ。

道具は、我の身。

この姿勢は、踊りと通ずる。

歩める身体抜きにして、何が踊りだ・・・と感じ始めてから約半年以上。

とにかく、徒らに歩き続けた。

歩くことによって、自動的に自分と向き合うことになる。

ダンサーとして、先ず歩めなければ。

同業の人々に笑われることも多々あった中、真剣にただ真摯に我の歩みに集中した。

真剣に歩き初めて弱半年ほどしか経たないけれど、結果として言い切れることがある。

歩むことは即、踊ることだ。

道具を必要としない全体運動として、歩むことも踊ることも同じだ。

歩む足の奏でるリズムに心が踊りだす。

外的要素の音楽に、体が反応する以前に。

自らの生み出す一定テンポの足音というリズムに、自らの魂が喜びを感じる。

歩き始めてから、すぐにきづくことがある。

歩くリズムがバラバラなんだ。全然、リズムキープができない。

徒歩移動をしなくなって、どれだけ歩くことを忘れていたかを自覚する。

リズムキープができないということは、すなわち集中できていないということに尽きる。

歩く足音が一定拍子になったとき、歩くことが本来の意味でオートマティックになる。

歩くことが、「普通」になる。

エクササイズでしているのでもなく、無理しているのではない身体行動となる。

歩くことが、自然なことになる。

一本歯(一本下駄)で歩いていると、足元の不安定さから、一歩一歩に緊張感が走る。

一歩一歩に意識を向けなければならない。

その一歩一歩の積み重ねを5時間ほどしているときづく。

僕が一本歯で歩む理由は、一歩一歩たる歩みを刹那として生きていきたいからだと。

刹那とは瞬間よりも短いことを指すけれど、その実感は日常ではそうそう味わえない。

けれど、一本歯で歩むことにより、それまで西洋履では体感しえなかった緊張感と共に集中力が増す。

妥当に歩むことなどしようものなら、足首を捻る。

妥当に歩むことなど許されない歩みを一歩一歩、かみしめながら歩む。

その緊張感から始め、時が経つにつれ、一本歯という履物が「身体化」していく。

すなわち、体に馴染む。

そうすると基本、なにがあっても転ぶということはない。

転ぶときは、必ず、不注意のときだ。

意識のどこかに注意という名の緊張感は保ちつつ、道具を体になじませ、肩から力が抜けてくる。

そうすると自然な姿勢となり、腰も楽になり、足も楽になる。

歩くことって、疲れることではないことに、きづく。

これは何も苦行物語ではなく、誰しも共通する「歩く」話である上、何も特別なことではない。

事実、かつての人々は皆、歩んで移動していた。

かつては当然だけれど、電車も車もなかった。

そんな当然の事実を、便利な時代な故に、忘れてしまっているだけだった。

ダンサーとしての修練として始めた徒歩移動も、今では修練ではなく習慣となった。

ダンサーとしてだけでなく、一人間として、歩むことから多くのこを知る。

刹那という言葉の意味も、集中という言葉の意味も、忍耐という意味も、自問自答の意味も、共同体という意味も、全ての概念や言葉たるや意味なきものなどない。

意味が問われる人間が産み出した概念よりも先にあるものを感じる。

それは万象という事実で、太陽が上がり下がる。月が現れては消える。風が吹いて、雨がふる。

そんな自然の現象が、人間にとてもつもなく影響を与えているのだという当然の事実を全身で体感する。

入れ物に入って、移動していると、移動している体感性は薄れる。

歩きながら移動することは、肩で風をきること。

風景の中に身体全体をもって、同調する行為。

その結果、我の身は全万象に依存していることに改めて、きづかされる。

きづきというのは、編み出し生み出されるものではなく、授かるものだと知る。

情報というのは本来、スマホの液晶にあるのではなく、目の前の現実にあるものだと知る。

信じれるのは、液晶ではなく、目の前の風景にこそあることを知る。

信じれるのは、今、ここ、この瞬間。生きている今にこそある。

目に見えている身の周りが、信じれるようになる。

この身が目指す先は、歩む先にある。

歩む先にある目的地点は、歩むことを諦めず歩み続ければ必ず、到達できる。

諦めないで、歩み続ける。

そこには健全な身体と、氣力。

そして、何より、無理をしない。

歩み疲れたら、休めばいいのだ。

休憩をして、またヨシ!と思ったら歩み始める。

この繰り返しを、ただただ、繰り返し続けると、きづく。

歩みつづけるには、「普通」であることが一番なのだって。

なにもきあい入れすぎず、姿勢は正中線の上、呼吸を大切に。

上でもなく下でもない。

中に意識を集め、ただただ歩む。

集中。

そして、きづいたら楽しくなってきている。

歩くこと自体が、楽しい。

今、この一歩一歩が楽しいし氣もちが良い。

そして改めて、きづく。

徒歩。

徒らに歩む。

徒らな心。

完全に徒らな少年へと回帰していく。

徒ら精神に、悲観的要素などあるはずがない。

「楽しくてナンボの世界。」

歩くことは、そもそも楽しいことだったのだ。

楽しむことこそが、徒らの本質であるならば

徒らに歩む。

「 徒歩 」

先人は、よう言ったものだと感心する。


one love

小畑 大左衛門
















2017年2月2日木曜日

新作公開


新作ダンス映像作品は下記URLから、どうぞ。

僕らダンサーは日常動作からも、インスパイアを受けています。
かの巨匠ダンサーである「ピナバウシュ」も「大野一雄」も「土方巽」も「Boogaloo Sam」も、みんな日常的動作から香る優美な質感が踊りにも表し現れていたと感じます。まさに、身体表現者たるダンサーですよね。
今日も良き冬晴れ、都内の電車は混み込み、いつもと変わらない日々かと思いきや、一日一生。
本日!2017年度初となるダンス映像作品を公開いたします。
老若男女の方々はもちろん、多くの子供たちにも見て欲しいなと感じる作品となりました。
機械で作られたコンビニおにぎりしか知らない子供とかいたりするのかな。
実は、米と塩と水があれば、「手」で作れるんだよ。
作る道具は、己の体のみ。まるでダンスだね。
日本の美しい食文化、おにぎり。
そんな、尊い日本の文化を一人でも多く届けれたらと想い、公開いたします。
是が非でも、ご覧いただけましたら幸い。
ちぇちぇCHECK IT OUT!!!!!!!

2017年1月17日火曜日

大切なお知らせ / 小畑 大輔 - 改名につき


 先ず
新年改めまして、明けましておめでとうございます。
2017年酉年。
飛び立つとり年とし、本年も何卒宜しくお願い申し上げます。

つきましては、

今年、2017年をもちまして私「小畑 大輔」は「小畑 大左衛門(だいざえもん)」と改名させていただきます。

筋として勝手ながら説明させていただきますと
経緯につきましては、私が1986年4月1日誕生した日にまでさかのぼります。
私が誕生したさい、母は彼女の大ファンであるアニメ「いなかっぺ大将 大ちゃん」の主人公である「風 大左衛門」から名を授かり、私を「小畑 大左衛門」と命名。
しかしながら、親戚中の反対を受け「小畑 大輔」に落ち着いたとのことでした。
私が小学生のころ、この話を母から聞き 「 20歳を超えたら名を改め小畑 大左衛門にするよ。」なんて母の念願を果たす約束をしましたが、今日まで改名する勇氣が持てずにいました。

しかしながら、去年2016年12月20日。
鎌倉から代官山まで一本歯で歩ききり、17時間ほど歩きました身体を持ちまして人生初めての「 仁王立 -自身の足で立つ- 」を体験いたしました。
此れにて、ワタクシ 小畑 大輔は自身の足で立った、即ち「自立」を自覚いたしました。
自立は成人の意味合いとし、「人と成る」ことでもございます。

その旨、2016年12月20日を未成年でありました小畑 大輔の成人式とし、本年2017年をもちまして成人しました「小畑 大左衛門」として正式に改名させていただく次第でございます。

今年2017年4月1日をもちまして31歳を迎える「小畑 大輔」改めまして「小畑 大左衛門」を、どうぞ何卒、引き続き宜しくお願い申し上げます。

つきましては、おきづきかと存じますが何分「OBA」という名においてなにも影響は及ばず、以後も「OBA」は「OBA」でございます。
本名が改名される上でも、引き続きOBAなり大ちゃんなりとお呼びくださいまし。

本年も何卒、宜しくお願い申し上げます。

one love


OBA / 小畑 大左衛門

2017年1月1日日曜日

「 雲の上の飛行機雲が太陽の陽にあたる - 猛烈の勢いで俺は、それを見ながら天空から地上へとおちてゆく - 」


ふと、きづくと、このよではない、なにかを考えている。
美しい、ピアノの旋律を聴きいり、この世とあの世の境目がわからなくなる。

この地球というのは一体なんだ。

この体というのは一体なんだ。

俺というのは一体。。

この手が打ち込む文字から、人間が持ち合わせる歴史についても、全てが虚空の中へと消え、

生きている事自体、神秘という言葉でごまかして、もっと向こうに羅列する見てはいけない影の向こうのように。

凝視をしてはならない、人影を、真剣に見てしまって、なにかがわかりかけたとき、ものすごい恐怖が襲いかかるように。

子供のころ、感じていた、死への恐怖は、純粋でありながら真理に近く、その上、大人になると、その真理から目を背けたくなり、生きることを、日常化する。

日常化することにより先に失われるのは、すべてを「不思議」と感じる心であり、不思議と物事を感じなくなることは天地さかさまに物事を考えられなくなることなんだな。

天地さかさま・生きることに不思議さをなくさずに、夕日を垣間みたときに。

人間というのは一体。

地球というのは一体。

我らというのは一体、なんだ。

と思うんだ。

どの時代でも、この我という魂が存在して、視覚し、聴覚し、判断し、思考し、今を生きているのだろうけど。

そもそも、この我という人間の、自覚というのは、一体なんなんだ。

この当然という日常の中に、没我していければ、なにも知らずとして死に絶えることができるのかもしれない。

そして、きづいたら来世へと生まれ変わるのだと思う。

けれど、あの世というのは、、、もしかしたら、なんか、言葉を超えたところで

「 なーーーーんだ!そういうことか・・そういうことだったんだ!!」

というような、死の先には、もしかしたら旧友と再会するような感覚で、すべてを納得するときがあるような。

想像をして - - -
 雲をも超える高い天空から、もの凄い勢いで落ちている。その先に見えるのは雲の上に浮かぶ圧倒的に美しい太陽で、「 ごーーーーーっ 」と耳は聴覚を失いながらも、確かに心の中では美しい旋律が鳴っている。


死んだ先に、美しいピアノの旋律のような静かな世界が、待っているような、その上、上記のような激しい世界が、激しくロマンチックな世界が待っているようなきがしてならないのだ。

そしたら、僕のできることは、世に、この静かでありながら烈(はげ)しく美しい浪漫の旋律を地上で悩める人々の心へと届けたい。

ふと、一人になり我と向き合うとき、ふと、空を見上げ、美しい雲や太陽を垣間見たとき、家族と、これ以上のない幸せを過ごす子供や親達の心、なんでもない日常の中に、ふと、流れ込む、優しい感謝と感動を、この静かでありながら烈しく美しい浪漫の旋律は流れ着くのだ。

その流れ着いたとき、人々の中で、おのずと沸き起こる感情は、感謝であり、感謝の先にあるのは懇親な姿勢であるのだと思う。

無条件な笑顔は、人々に笑顔を生み、その笑顔を産み出した本人でさえ、その笑顔にまた、笑顔となるのだ。

そのフリーエネルギー的循環を、理想郷に終わらせないためにも、これら空想を、実現とし、この体をもって、夢物語を表出し、展開させていく必要があるのだ。

俺の求めている、立派な無数の順列の向こうには、触れてはならない影が存在していることを深く認めながら、

それでいながら

それでも

一度、たしかに聴こえた立派な無数の順列による倍音の真理と神秘は消えていかない。

その倍音の真理と神秘のむこうに、なにかが存在する。

それは、「なにか」としか表現しえない世界。

その「なにか」にこそ、なにかがある。

必ず、死ぬ。

俺ら人間は、必ず、死ぬ。

その死ぬ上で、奇跡たる今この瞬間瞬間を、不思議に思うたとき。


なにかの扉が開け、見えそうで見えない、言葉にできそうで、できない、なにかが確かにチラリと我に目を向ける。