2017年3月1日水曜日

DAISUKES 新作公演「 刹那仁王舞 - Setsuna Niou Mai - 」





「 身体表現を追求いたす。」

我の所属するダンスユニット「DAISUKES - ダイスキーズ 」では、身体建築すなわちダンスアーキテクト的な姿勢で振付たるクリエイションを展開する。

共に建築家志望であったけれど結果ダンサーな僕とDaisuke Omiyaは、きづいてしまった。

きづいたら、XY軸で身体を捉えていることに。
そして、力点作用点で身体の重心を捉えていることに。
重力をできる限り、両肩・胸上部に落とすことにより
トウシューズを履かなくても、
両足の親指と人差し指で、直立できる事実を我の身で証明したり。

この衝動は、もはやダンサー通り越してダンスアーキテクチャーなのではないのだろうか。
なので作品におけるスタディもかなり具体的である。
作品「刹那仁王舞」におけるスタディ先は、

・一本歯(一本下駄)歩むという基本動作から踊りを学ぶ(道具からのスタディ)
・風姿花伝 観阿弥の哲学から踊りを学ぶ(本からのスタディ)
・湾曲 柔質な身体を追求してきたコンテンポラリーダンサー Daisuke Omiyaと鋭角 硬質な身体を追求してきたストリートダンサー ポッパーの小畑 大左衛門 a.k.a OBAの二者による極地から学ぶ(実践からのスタディ)
・舞踏 / 舞楽 / 神秘舞踊などからの学び(歴史からのスタディ)

等々、具体的なスタディをもち、さらに、それらのスタディを最終的に全て忘れる。
その先に、全く新しい身体表現を模索し構築していく。
思考から体感への道譲り。
という経路を辿っている。

そして、とても重要な試みが既に映像でも表現されている。
それは

ダンサーも音を奏でようの巻。

ダンサーとミュージシャンという分業化の極み。
それが現代だと感じている。
ダンサーが音楽をしない時代から、する時代へとなっていったら楽しいのになと感じる。
ダンサーも楽器を手にとって音楽して、自分の踊る音楽を自分で奏でて作ったり、もしくは奏でる側にまわって、踊る側を客観的にみてみたりして。
どちらにしても言えるのは、ダンサーにとって楽器を奏でることは非常に有意義であることは事実であると思う。

フレームドラムと出会って、踊ることの価値観も同時に変わった。
歩くリズムも自分で奏でているリズムであるという当然の事実に、耳が変わる。
ダンサーが踊って、新しい身体感覚を得るように。
踊る身として、音楽を奏でることは最高な相乗効果を生む。
そのことを証明すること。
新作公演目的の一つです。

どうであれ、きづけば3月も手前まできています。
全身全霊全力を尽くし新たなダンスフィールドへと確実に着陸いたす。
peace
小畑 大左衛門

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Title:
「 刹那仁王舞 - Setsuna Niou Mai - 」
Day:
2017年03月26日(日)
Place:
Studio ARCHITANZ
詳細はおって、アップいたします。

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