2017年7月16日日曜日

今を生きる


バーチャルリアリティ(VR)という言葉は元々シュールレアリスムの詩人アントナン・アルトーの造語であったということに衝撃を覚えていた今日の朝

昨日の衝撃的な時空に浸る

昨日は

今をトキめくヘアメイクアーティスト Yumiko YahataとフォトグラファーShogo Yoshidaによる

「 A RAKAN 」

という展示会のオープニングイベントにて舞ってきました

パフォーマンス内容は 今年に入ってから急激的に濃厚な縁起いただいている最早おれの兄貴 地球音楽士 宗田 悠さんとの即興コラボセッションでありました

開催場所は America Bashi Gallery

キャパの関係性やお客さんのスタンス 様々な点が交差し織りなし今日までたくさんステージを踏んできたけれど・・・昨日のあれは・・一体なんだったのだろうと振り返る


最近 踊っていてきづくのは踊り手というのは本来 ミュージシャンやその場にいるお客さんの盛り上げ隊だったんだじゃないかなー・・・と強く認識する現場が多く

というのも現在は俗に言うバックダンサーのような仕事もしている中で ボーカルとお客さん・ボーカルと演奏者・演奏者とお客さんのようにボーカルである人の色づけとしての踊りから演奏者を鼓舞させる役割からお客さんに具体的な踊りの衝撃や感動 そして共に踊るうえでの架け橋として 多々限りない「中間者」すなわち「中継(なかをつなぐ)者」として役割を全うする

バックダンサーと一言で言っても舞台上に立つ限り認識しなければいけない要点は尽きない・・・

盛り上げ隊と言ってしまうとバレーダンサー一筋の人とかコンテンポラリーダンス作家?の先生やBUTOHマスターに怒られそうだけど・・・

エンタメとアートは違う

たしかにそう

というか絶対に違う

けど・・・昨日の体験では・・・昨日のギャラリーで舞った俗にいうアート的方向性の表現においても感じた同等な何かが存在している

僕は
エンタメとしてのバックダンサーで感じたことと
アートとして昨日ギャラリーで舞った即興身体表現者として感じたことに

対極な舞台それぞれには感じれえない共通の身体感覚が確かに一瞬 あったんだ

その一瞬の感覚は尽きるところ 「 氣巡り運氣開運 ばっかーーーんん!!!!」というような 踊っている時空に存在している人々と共に地場的なレベルでのエネルギーから全員の元氣玉をもって今この瞬間を盛り上げきっていくぜ!!!

みたいな一瞬

ダンスバトルしていると結構ある
今は分からないけれどダンディラもそうだった
エンタメではよくある


しかしながら昨日の現場のようなTHE ARTのような世界での表現でバッカーーン!!!という感覚になることはやはり少ないというより もっと何というか静寂であれるというか・・・

しかしながらそれでもその静寂なりの極限の集中力を駆使して突き詰めた一点は尽きるところ・・・

バッカーーーン!!!というか・・( 汗

つきるところ 今この瞬間に 生ききっちゃおうぜーー!!!と一瞬なる時空


この一瞬を味わってしまうと・・・僕はもうダンスの呪いから離れられない


それまで他人であった人とも

それまで考え方も違った人も

それまで喧嘩していた彼女も


ステージ上で踊りだしたら もうそこは単純に「ぶちかませ」となるストリートダンスシーンで育った僕としては

舞台から見る世界は 「愛」の世界だった

これは本当で 結局お客さんもアーティストが舞台上に立った限り「ぶちかましてほしい」とは思ってくれてると思う

「最低なパフォーマンスしろー」なんてお客さんは本物ではないでしょう

そういう意味で結局はポジティブに向かう このダンス現象というのをストリートダンサーとして存分に味わってから

あくまで大人な冷徹極まりないコンテンポラリーダンスの世界に入った

当たり前話 舞台前にお客さんが「おばさーん!」なんて呼んで盛り上げようものならコンテンポラリーを観に来ている質の高いお客様達にガン引きされるだろう

その世界に入ってから一種の踊りやすさのようなものは感じていたけれど

しかしながら昨年スペインでコンテンポラリーダンス作品を踊ったときにも

尽きるところ スペインのお客さんたちの目の奥に潜む普遍的な恐怖心というものを震わせたかった

そうすると集中力は 目の一点に定められる 
その一点とは 後頭部に存在している俯瞰的な第三の目

その第三の目と
合うはずのない お客さん全員の目と

バチコン合う瞬間が存在している

そのときに確かになにかしら共有する何かを共に感じている人間達が同じ空間に存在しているという事実をもって

何か大きな「うねり」の揺らぎの萌えを感じるトキがある


その瞬間はストリートダンス業界で味わってきた結果 ポジティブの感覚と同じだったんだ



これはバックダンサーをしていてもアートの空間で舞踏手ですか?と質問されるような踊りをしている空間であったとしても

志は一つ


身体表現者として 運氣を巡らせるのだ

舞うことで喜びとなるように

尽きるところ そこにつながるのだと

今日はこのへんにしておこ






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