2018年3月31日土曜日

【歩んで舞る。】episode Eight

2018年4月28日(土)黄昏れ時。
野々宮神社で舞う公演の目的は、

現代舞の踊り手による新しい「舞」表現を、
森林に囲まれた神社という特有の歴史文化、
ならびに自然環境を背景に新しい「舞」を発信すること。

その現代舞ならび新しい「舞」表現とは。

若年であり、まだ未熟極まりない身として
「新しい舞表現」を公開するということは
少し厚がましいようなきもするけれど。

ただ、ここ数十年のダンスライフで自分なりに見えてきた到達地点(通過点)
を全身全霊全力をもって一つの舞台作品として創造すること。
それは一つの大いなる挑戦だと、勝手ながらにも思っております。

輸入文化としてのストリートダンスからスタートし
日本人としてのアイデンティティを改め問い直し
己が持つ身体による唯一無二な身体表現を見出すこと。

すなわち能や暗黒舞踏に次ぐ、日本オリジナルのダンスを生み出すこと。

伝統芸能を融合させた現代神楽のような【 伝統×現代 】的な踊りをすることではなく、

【 全く新しい舞表現 】を創造することを目指しています。

今日までのダンスライフは偶然の連続でありつつ
一つの流れが出来ていることは間違い無しと感じております。



14年前。18歳のころ、ニューヨークへと留学。
いわゆるストリートダンスの本場へと我が身を投じた時期。
18年間住んで来た実家を出て、
初めて一人身として住んだ町がニューヨークブルックリン。

留学前に日本にあるホームステイ紹介の会社に半ば騙されたかの如く。
ホームステイ先は、ニューヨークでも三本の指に入るゲットーエリア(治安の悪い場所)
地下鉄2番線の終点 Flutbush avenue。ブルックリンの末端。
当時は、東洋人は一切いなかった。完全に黒人街だった。
留学先であった学校まで地下鉄に乗って片道二時間。

このホームステイ先、朝食付きというのはいいが
出てくる朝食はデリの片隅に積もられている極めて薄っぺらいカリカリのパン一枚。

ワンモアプリーズと言うと、黒人のお母さんに激怒される。

ホームステイ先にていきなり受ける人種差別。

そもそも人種差別されること自体、人生初めての経験であったため
なぜホームステイ先の家族は俺のことをウザがっているのだろう。。。
目つきが悪かったのか。。。いや、そんなに悪くなかったはず。。
平和そのものの日本から来た18歳の少年には
人種差別の認識さえ出来ずにいた。

ただ今思えば、かつてのニューヨークでは
白人が黒人を差別化し、黒人が黄色人種を差別化していた。
少なからずとも、ブルックリンFlutbush avenueエリアで
相当な人種差別を受けた。

住み始めて二ヶ月ほど経ち、
ストリートダンスという黒人が生み出したダンス文化に憧れ
留学したにも関わらず黒人から受ける人種差別。

当時、ニューヨークに住んでいた日本人の多くが‘黒人’というだけで
なぜか無条件に憧れる。

「やっぱ黒人のリズム感は違うよねー。はんぱねー。」

分かるけどさ、俺等だって同じ人間だ。

俺だって黒人が生み出したストリートダンスを追求してニューヨークに来た。
ただ、「ストリートダンス」というダンス文化に憧れたのであって、
黒人という人種に憧れているわけではない。

というか肌の色は違うけど、同じ人間じゃん。
文化を創るのは特有の地域ならび人種であるかもしれない。
ただ、ストリートダンスというのはグローバルなダンスジャンルだ。
いわゆる民族舞踊的価値観ではない。

という感じで、居住エリアで受ける人種差別の傷のせいか。。。
それまで純粋な18歳の少年の目つきが、悪くなりはじめてしまう。

最終的に、自分にとっての踊りが純粋に「楽しむ」行為から
「戦う」ツールに変換してしまうことがおきる。

マンハッタンからの帰り、
Flutbush avenueに着くまでの地下鉄の長い時間。

それまで車両にいた白人から東洋人が少しづつ居なくなる。
それに変わり、少しずつ黒人が増えてくる。

向こうの車両から、
黒人学生(たぶん高校生ぐらいだろう。)男性6人がスピーカーを手に持ち
こっちの車両に乗り込んでくる。

なんだか嫌な予感がして下を向いて寝たふりをする。
嫌な予感は的中。

彼らにとっては珍しい東洋人B-Boy。
当時はバリバリのストリートダンサーであったため
ファッションもダボダボストリートファッション。

きづけば囲むように彼らが座っている。
そして、俺のかぶっているメッシュキャップを頭から取り上げ
げらげら笑っている。

俺はそれでも寝たふりをする。
大切にしていたメッシュキャップはどこかに投げられ
彼らは俺にもたれ何だかクッチャベっている。

ただただ悔しい。
悔しくて叫びたいけれど、コワくて動けない。
むしろ震えているのは悔しさではなく恐怖からだった。

その恐怖に震えている自分自身にも情けなく
そして、こいつ等が本場としているヒップホップファッションをしている
自分自身にも恥ずかしくなってくる。

なんとも言いようのない感覚にひたすら襲われる。

きづけば終点、Flutbush avenueに着いていた。

こいつらは降りない。
ひたすら俺のことを見て笑っている。

俺は目をつぶりながら、その笑い声を聞いていた。

意を決して、席から立ち車両から出ようとした。

車両からでる直前、数は明確に覚えている。

6回だ。

一人ずつ、俺の後頭部を叩いた。
最初の三回目ぐらいは痛いのと驚きで、ただ固まった。
残りの三回で、完全に頭の中の何かがキレた。

「黒人をバトルでぶっ倒す。」

その日から、黒人ならびアメリカ人をバトルで倒すことだけをイメージしながら
一日10時間以上の、今思えば完全にイカれたダンス修行が始まる。



2018年3月30日金曜日

コクベツ



書 : OBA
詩 : 宮沢賢治 [告別]

コクベツ

オマエノバスノサンレンオンガ
ドンナグアイニナッテイタカヲ
オソラクオマエハワカッテイマイ
ソノジュンボクサノゾミニミチタタノシサハ
ホトンドオレヲクサハノヨウニフルワセタ

モシモオマエガソレラノオトノトクセイヤ
リッパナムスウノジュンレツヲ
ハッキリシッテジユウニイツデモツカエルナラバ
オマエハツラクテソシテカガヤクテンノシゴトモスルダロウ

タイセイチョメイノガクジンタチガ
ヨウレイゲンヤケンキヲトッテ
スデニイッカヲナシタガヨウニ
オマエハソノコロコノクニニアル
ヒカクノコキトタケデツクッタクワントヲトッタ

ケレドモチョウドオマエノトシゴロデ
オマエノソシツトチカラヲモッテイルモノハ
マチトムラトノイチマンニンノナカニナラ
オソラクゴニンハアルダロウ
ソレラノヒトノドノヒトモマタドノヒトモ
ゴネンノアイダニソレラヲタイテイナクスノダ
セイカツノタメニケヅラレタリ
ジブンデソレヲナクスノダ

スベテノサイヤザイヤチカラトイウノモノハ
ヒトニトドマルモノデハナイ
ヒトデサエヒトニトドマラヌ

イワナカッタガシガツニハオレハモウガッコウニイナイノダ
オソラククラクケワシイミチヲアルクダロウ
ソノアトデイマノオマエノチカラガニブリ
キレイナオトノタダシイチョウシト
ソノアカルサヲウシナッテ
‘ フタタビ ’ カイフクデキナイナラバ
オレハオマエヲモウミナイ
ナゼナラオレハスコシグライノシゴトガデキテ
ソイツニコシヲカケテイルヨウナ
ソンナタスウヲイチバンイヤニオモウカラダ

モシモオマエガ
イイカヨクキイテクレ
ヒトリノヤサシイムスメヲオモウヨウニナルソノトキ
オマエニムスウノカゲトヒカリノゾウガアラワレル
オマエハソレヲオトニスルノダ
ミンナガマチデクラシタリ
イチニチアソンデイルトキ
オマエハヒトリデアノイシハラノクサヲカル
ソノサミシサデオマエハオトヲツクルノダ
オオクノクツジョクヤキュウボウノ
ソレラヲカンデウタウノダ

モシモガッキガナカッタナラ
イイカ
オマエハオレノデシナノダ
チカラノカギリ
ソライッパイノ
ヒカリデデキタパイプオルガンヲ
ヒクガイイ


カタカナタイピング : OBA

2018年3月29日木曜日

【舞士道】雪ノ舞- 2018年春分 - 鎌倉SeeSaw



まさかの季節外れの雪が舞う、春分ノ日の舞開。
今年の始まりは極めて狐日和でした。
今年は、、、すごそうですね!
って、さむかったわ。


麻心×SeeSaw
2018年3月21日春分


「 asa no megumi 」
オープニングセレモニー

【 舞士道 : 雪ノ舞 】
( 一本歯の下駄ノチ素足カラノ泥中 )

舞士 
小畑‘OBA’大左衛門

楽士
宗田 悠

おがらオブジェ
森下 真司(麻心オーナー)

撮影
中本 将夫

会場
鎌倉長谷CreativeStudio SeeSaw

2018年3月28日水曜日

【 歩んで舞る。】episode Seven

約10年前の「Rhythmalism」
(左:TAKA 中央:Toshi 右:OBA )
ただのヤカラやな。。。汗

もともと僕がメインとしてきたダンスジャンルは
「Pop Dance」
といいます。

Pop Danceの通称はロボットダンスです。

筋肉を瞬間的に収縮させ、ビク!!!とさせます。

そのビク!!!がHitやPopと呼ばれる技となります。

このビク!!!という技をそれなりに習得するのにも時間がかかるため
ストリートダンスジャンルの中でも
比較的ムズかしいジャンルとされています。

ストリートダンスの華やかなイメージとは裏腹に
どちらかというと
オタクな野郎たちが取り組むダンスとして有名です。

僕がPopDanceを本格的に始めたキッカケは
約12年前。
NYのBroadwayDanceCenterに留学した時に出逢った
PopDanceの第一人者『Jazzy J』でした。


どう見てもヤバすぎでしょう。。。



彼は、かつて1986年。(僕が生まれた年)


マイケルジャクソン キャプテンEOに出演していたダンサーとして
知る人ぞ知る世界的に有名なダンサーです。
(マイケルの左側奥の素頭の男性)



- Rhythmatic Funk Movement Dance Showcase -
上下青の黒人男性がJazzy。
髪が長くて青シャツ着ているのが私OBA。

Jazzyが主宰するダンスクルー
「Rhythmatic Funk Movement」
のメンバーとしてニューヨーク留学時代
ひたすらに、ひたすらにPopを追求する日々を送ります。

その延長でダンスバトルに出場し
優勝したりしなかったり
そんな日々を過ごし
前回のepisode Sixに書いた内容の心境へと達しました。

ただし、このPopDanceの追求心。
いわゆる筋肉の収縮が生む痙攣。

この痙攣作用の追求。

その追求心は止む事を知らず、
さらなる追求欲が日々爆発的に更新されます。

痙攣を自発的に表現する。

このヤバさ。


痙攣身体表現がもつ可能性を、
ストリートダンスシーンを飛び越え
コンテンポラリーダンスならび暗黒舞踏のダンスシーン
から改めて、学び始めたのが五年前。

この五年を通り、
次なる舞台への【圧倒的挑戦】(勝手にですが。。。)
の内容を共有いたします。



元々ストリートダンサーであった僕が

由緒正しき伝統的な舞台 

野々宮神社 拝殿で舞う

全く新しい領域となるダンス即ち舞への挑戦。

[ 五頭龍舞•弁天舞•大国主舞 ]



この三部作は、ストリートダンスから派生し
身体表現の追求がいき過ぎた結果
鎌倉から出雲まで歩んだ一人のダンサーが
日本ならび世界へ提示する

全く新しいダンスジャンル-舞踊分野です。


この新領域はこれまでの「ダンスシーン」に必ず、一石を投じます。

ダンスに興味がある人もない人にとっても

この挑戦が、一人でも多くの人々の感を動かす感動となるよう。

今日という日も、一日一生。

日々、
One Step One Life = 一歩一生 = 一舞一生。

次回は、三部作にいたるダンス人生を振り返ります。

かなりダンスマニアックな内容ですが、引き続き更新して参ります。


何卒、よろしくお願い申ス。




一舞一生 - one step , one life - 
小畑‘OBA’大左衛門


【歩んで舞る。】特設サイト



2018年3月27日火曜日

【歩んで舞る。】 episode six

-野々宮神社社務所にて氏子総代との打ち合わせの様子-


去年2017年
野々宮神社 宮司 中島伸男氏から奉納舞のご依頼を受け

今年2018年
4月28日(土)黄昏れ時に
【小畑 大左衛門舞作品三部作 奉納公演】
が決定いたしました。

野々宮神社の長い歴史の中で、
能や神楽、獅子舞などの伝統芸能以外での
現代的な舞による奉納公演は前例が無いとのこと。

依頼を受けた身ではありつつも、
野々宮神社を取り巻く人々すなわち氏子さん達の御理解を頂くこと
これは避けて通れない道であると考えました。

上の写真は今年3月2日、野々宮神社社務所にて
中島伸男宮司と氏子総代6名との打ち合わせの様子です。

前例が無い現代舞における内容や使う楽器などの説明をしました。

伝統的な舞踊家ではない、現代的な踊り手として
神域である拝殿にて舞う内容は
限りなく厳かな演出で
そして、作品内容としても神社で舞うということの意味をもって
僕が生まれ育った鎌倉市腰越の氏神
龍口明神社の神話
「弁財天と五頭龍」
野々宮神社の主神「大国主命」を題材とした

[ 五頭龍舞•弁天舞•大国主舞 ]

の三部作とすること。

諸々とご説明させていただき、氏子総代6名の方々とも
舞台に向けた志を共有したひと時となりました。

そもそも何故、次なる舞台となる
奉納舞公演に向け
ここまで熱意があるのか。

ダンサーとして生きてきた20年の中で、
初の舞台となる神社 拝殿(舞殿)。

この初舞台に上がるまでのダンサーライフにこそ、
その熱意の背景があると振り返ります。


僕は元々、バリバリのストリートダンサーでした。

二年前までWDCという世界大会で日本代表としてバトル出場をしていました。


ダンスを初めたのも路上から。
地元の先輩に、地元の小学校校舎入り口のガラスに写る
かすかな自分の姿を見ながら踊り始めました。


バトルダンサーとして20歳から10年ほど生きてきて

踊りに採点は付けれないでしょ

という事実を痛感します。


よくよく考えれば当然なことで
踊りはスポーツではなく、芸術です。

何回ターンしたら何点。
このダンスしたら何点。

冷静に考えれば、踊りに採点など付けれるはずがありません。


バトルに関しても、どれだけ会場をロックしたかは問われる。
ただ、基本的には審査員がいて
審査基準は尽きるところ、審査員の感性なり価値観でしかない。

どう考えても会場ロックしてるのに、
審査では負けるという体験は何度もしてきました。

そういう意味で、バトルというのはダンスの本質というよりかは
限りなく『Just a Play』即ち遊びであるという結論に至りました。

ギャング同士の戦いに、銃の代わりにダンスを使用する必要性は
日本にはあまり無いと思う。

それでもバトルをする背景には、
尽きるとこ「Session」ではないだろうかと考えるのが
僕らのストリートダンスチーム「Rhythmalism」の基本思考です。


このバトル文化に対して自分なりの結論に達し、
5年前から
より本質的な踊り即ち身体表現の世界へと身を投じることになります。



一舞一生 - one step one life -
小畑‘OBA’大左衛門


【 歩んで舞る。 】特設サイト


2018年3月26日月曜日

【 歩んで舞る。】声明 - 其ノ一


本日はepisodeシリーズから飛躍しまして声明シリーズへと入ります。

ブログをご覧いただいている方は、
そろそろ野々宮神社宮司 中島伸男(83)の人物像を感じたいのでは、、、

という勝手ながらの想いも含め
映像で中島 伸男氏と私 大左衛門の声明を
お届けいたします。

僕は、中島 伸男さんと初めて会ったとき即思ったこと。

それは「あ、、日本のチャップリンだ。」

そう思いました。

中島 伸男さんの人間的魅力は独特なチャーミングさ

それと同時に奥行きのある真剣さ

そして、現代男子には稀な粋な男氣。

僕は、中島氏から受けた熱意にダンサー即ち舞士として

使える命、全命をもって答えていきたい。

そう想い本番 2018年4月28日(土)に向け

日々、邁進させていただいております。

2018年4月8日には鎌倉から出発し琵琶湖ふもと野々宮神社へ向け

具体的に日々、歩みます。


以後とも、進捗をご報告して参りますので

どうぞ引き続き私たちの同行をブログなりで
CHECK IT OUTして頂けたら幸いです。

明後日28日は、滋賀県東近江市役所で記者会見。

記者会見の様子は動画なりで御共有させていただけたらと思っております。

引き続き、何卒宜しくお願い致します。

一舞一生 - one step , one life - 
小畑 ‘OBA’ 大左衛門

【 歩んで舞る。】特設サイト


ps
同行プロデューサーのいがらし しんちろくん合わせ
三人での声明は後日アップいたす。




2018年3月25日日曜日

【 歩んで舞る。 】episode Five

こちらは、去年出雲から地元湘南へ帰って来た当時の写真です。

ともに写っているのは、短編映画「ヒノイリの風」のテーマミュージックを担当した
地元湘南のパイセンでもある地球音楽士 宗田悠氏。

見てもらえれば分かるのですが、一本歯も大分けずれ眉毛も無くなりました。
(眉毛は撮影の関係上ですが。。。)

ともかく、鎌倉から出雲への旅が終わりました。



この後、僕は次なる舞台に向け修行に入ることになります。

その修行先は、伊豆稲取にある元旅館廃墟。


廃墟を「巨人」として見立て、バーベル片手に一本歯を履き

壁天井を壊しまくる。

「解体ダンサー」です。



事実、その廃墟は地元で有名なオバケ屋敷。

鎌倉長谷SeeSawというスタジオもそうだったのですが、

僕は何かと、オバケ屋敷と御縁があるそうで

伊豆のオバケ屋敷なる廃墟旅館も中々、凄まじかったです。



ただ当時、次なる舞台が「巨人」がメインテーマとなるため

いかにして現代に「巨人」を感じ、そして「巨人」と具体的に戦えるのか。。。

鎌倉から出雲まで歩み鍛えた身体を具体的に活かし
次なる舞台へと展開することの出来る修行先。

まさに、うってつけでした。



なにかに取り憑かれるように、ひたすら破壊行為を繰り返す日々を
伊豆稲取で過ごしていた中。

とうとう、野々宮神社 中島伸男宮司(83歳)が再登場します。

かつて歩んでいる道中、電話越しで
「我が野々宮神社の拝殿で、舞を奉納しませんか。」

というお話を受けて数ヶ月後。

なんと、中島宮司が伊豆まで来てくれたのでした。

(眉毛生えました)

わざわざ滋賀から伊豆まで来た背景には、

直接しっかりと野々宮神社での奉納舞について
正式にご依頼したい。とのこと。


熱い。


終戦を体験した男。

中島伸男 83歳(当時82歳)

目の奥行きの深さが、凄い。



今回、若い現代的な舞手に奉納舞を神社側から依頼することは異例だとのこと。

野々宮神社の長い歴史の中で、拝殿での奉納舞は能や神楽、獅子舞など。
今日まで、現代的な踊りの奉納舞は前例が無いとのことでした。

前例が無いことを企画化する。

すなわち0から1の創造行為。

長い歴史を持つ場での新たな創造行為には大いなる勇氣が必要だと思います。

80歳を超えてもなお、挑戦しつづける姿に心から感銘を受けました。


中島宮司が僕に奉納舞の依頼をした背景には

「若い現代的な舞をする小畑OBA大左衛門の奉納舞公演を企画することにより、
若い世代に神社をより身近に感じてほしい。」

かつて600人ほどいた氏子の数が
ココ数年で400人ほどにまで減少してしまったとのこと。

少子高齢化の影響もある中、
それ以上に神社と若い世代の距離が遠くなっているからではないか。

この神社離れの現状を、今企画で少しでも解決していきたい。



さらに、

中島宮司(83歳)は、

野々宮神社の宮司として
今回の小畑大左衛門 奉納舞公演 企画が、、、

「人生最後の仕事 - Life Last Work - 」

だと思っている。

とのこと。


。。。


大義すぎる。。。



この言葉を受けた私、小畑大左衛門は
光栄なる想いと感謝を胸に潜めつつも

ただただ、身体が震えた。






2018年3月24日土曜日

This is LIFE !!! 其ノ一


This is Life ,,, 生きていて良かった。。。

人生には時に、ほんの時々、
そう思う時があります。

この数十年踊ってきて今日まで

写真や映像、舞台などで我が身をもって踊ってきた人生。

実はSoundHorizon、LinkedHorizonのツアー中

ローラン、鎖地平団団員の方々が描く
「イラスト」を見て
一言、、、「す、、すげー。。。」っと思ったのでした。

SKILL、、、半端ない。

HIPHOPヲタク育ちな僕として

もちろんイラストならぬグラフィティ文化は通ってきているので

絵を描くのは好きです。

しかしながら、人の特徴を捉え描くことは

相当な興味心から派生する洞察力がなければ、、、


僕の場合
もしかしたらKeith Jarretなら描けるかもしれない。

もちろん試しました。

無理でした。


改めて、人物をイラストで描く難しさを体感する此の身。

いつか。。。わたくしもイラストを描いてもらう日がくるのだろうか。。。

Neinから胸の内に秘め、とうとう進撃の軌跡ツアー終演翌日のブログで

いつか踊っている姿なり表情をイラストで描いてもらえるよう、
これからも全身全霊全力で舞っていきます。

なんて密かに打ち明けていたりしていました。。。

そこから数ヶ月後。。。

我がスタジオ 鎌倉長谷Studio SeeSawに、、、

北の国から、届きました。

ダンサーとして生きてきて約20年間、
我が身を被写体にしたイラストを、お初、頂きました。

感謝に身が震えました。

本当に、本当に、有り難うございました。

なによりの励みになります。

そして、今日まで頂いたファンレターはもちろん
神棚に奉ってあります。

凄いバイブスが、そこから放たれています。

そのバイブスに僕は日々、癒されています。

と、同時に戒めというと極端ですが日々正精進

これからもダンサーとして表現者として

One Stage One Life

さらには

一舞一生 - one step , one life - 
を生きて舞ると身を引き締める想いです。


心より感謝申し上げMAX。

感謝感激山嵐。





一舞一生 - one step , one life - 
小畑‘OBA’大左衛門

2018年3月23日金曜日

【 歩んで舞る。 】episode Four



話は戻り、

2017年3月28日に鎌倉を出発し、

28日間の徒歩道中を経て

2017年4月24日に出雲大社へと到着。

翌日4月25日に短編映画「ヒノイリの風」クランクイン。

夕方に到着してから数時間後にはヘアメイクが入り

睡眠はほぼとらず撮影に挑みました。

身体は極限状態の疲労感に達するものの

なぜか心は明快で、撮影本番に向けて意識が完全に集中していました。

撮影時の奇跡的な出来事等は、また改めて書かせていただくとして

とにかく、撮影現場そのものが映画でした。

無事、二日間の撮影を終え28日間をかけて歩んだ道中を

帰りは普通にロケバスに乗り、帰路は9時間。

徒歩だと、鎌倉〜出雲 片道28日間。

車だと、出雲〜鎌倉 片道9時間。

この移動時間軸の差には、身体感覚が根本からグラグラしました。

車は、まるでタイムマシン。

本当にそう思いました。

かつては車も電車もなかった時代。


徒歩 - 人間の足を利用した自力な行為


その行為が、現代の移動手段では最も不効率であること。

たしかに車や電車は移動所用時間の圧倒的な効率化を生み出しました。

ただ、28日間に味わったドラマと

高速に乗っている9時間のドラマ。

どちらがドラマティックだったかと言われれば、
どう考えても28日間のドラマだった。

効率化により得たものは計り知れない。
その恩恵を僕も現代人として日々いただいている。

僕だって普段は電車も使うし、車も使う。

ただ、謎に現代人として世捨て人レベルな行為として
30歳過ぎにもなる男が歩きだし実感した体感。

それは、現代における‘便利’や‘効率’などを追求したことにより

失った「何か」でした。


今日まで人間が追い求めてきたもの。

それは10人10色で、様々。

ただ現代の風潮として最近よく問われていること。

AI化による「人間の尊厳」

カフェでもロボットがコーヒーを持って来てくれる時代。

AI化により、人の職が奪われる時代。

まるで手塚治虫漫画のような時代が近づいてきている。

その時代の中、身体表現者として生きている自分。


つい最近
ストリートダンス雑誌を作成するとのこと、インタビューを受けた際に

インタビュアーに問われた問い。

『 「表現もAI化する。」という考えに対して、ダンサーとして何か一言。』

僕なりにだした答えは、


「ロボットダンスをロボットが踊っても、ヤバくはない。」


でした。

若者が言うヤバいという言葉の意味を深めると、
「驚き」ということではないかと思います。

ヤバい = 驚き

表現において、「驚き」はどのような時に生じるのか。

ロボットダンスにおける驚きを解剖していくと

有機質な人体が無機質な動きをすると、ビックリする。

すなわち、有機質と無機質という対極的要素が共存し表現されたとき

人は驚きを感じるのではないかと思います。

これは滑るはずのないカカトが滑っている「ムーンウォーク」の
視覚的な驚きと通じます。

あくまでロボットダンスは人間という有機的な生物が踊るからこそ、
「驚き」すなわち「ヤバい」のだと思います。

そして、

人間の尊厳というのは案外手元に存在していると感じます。

その一つに、「無条件」な行為が上げられると思います。

子供が、絵を描くのも踊るのも

その姿に「条件」は見当たりません。

もちろん、お母さんに喜んでもらいたいなど、
そのような想いの背景はあるのかもしれません。

ただ、僕らは
誰だって一度は子供だったから分かるように

「ただ、やりたいからやってる。」

という「無条件」な衝動を知っています。

藝術における本質は、「無条件」であると岡本太郎氏は言います。

無条件な心もち、すなわち初期衝動(わくわく)

この初期衝動(わくわく)にこそ
藝術すなわち文化の源流が流れているのではないでしょうか。

わくわくを感じる、この心こそ人間の尊厳ではないだろうか。

そして、その無条件なる初期衝動(わくわく)
にこそ、
人間こそがもつ「こころ」の素晴らしさがあるのではないだろうか。

そして、その「こころ」を体感する媒体として

この我が「身体」が存在するのではないか。

誰しもが必ず一人一つずつ持つ「からだ」

この「からだ」は、ヒトが生涯もちつづける所有物。

所有物というと語弊があるかもしれないけれど、
事実、生まれて死ぬまでの間に生涯付き合い続ける「からだ」

この「からだ」がもつ実感すなわち体感こそ

人間の尊厳に間違いないと思う。

スマホやパソコンなどは身体超えて頭脳の拡張媒体であると思います。

ネット社会における身体感覚の損失は、多大であることは間違いないと思われます。

ただ、そうであっても事実いまこうしてタイピングしている今も

我が指が存在して、我が指が動いて成している行為です。

いくらネット社会により身体感覚が失われようとも

「からだ」は存在し続けます。

僕は、そのコトを表現したい。

そのために身体表現 - 踊りを踊っているのかもしれないし、

人間の超基礎活動、身体表現の基礎

歩む

徒(いたずら)に歩むのかもしれません。

身体感覚を最も身近に即、再起させてくれるのは

人間活動として最も基礎的行動なる

「歩む」

ことなのではないだろうか。

そして、この「歩む」行為は

世界全人類共通身体活動ならび身体感覚。

誰しも必ず、歩み、生きる。

この最も基礎的行為であり最も身近に存在する誰しもがもつ共有身体感覚
にこそ、普遍的な身体表現が存在するのかも。

前回の鎌倉から出雲までの徒歩は、
先ず手前に自分自身が体感し体現することを求めた。

ただし今回の鎌倉から琵琶湖は前回の半分という距離も含め、
改め「歩むことを表現」する必要性を感じている。

人が歩むことは、人のもつ自由をも表現する。

その自由は、今ここ自分の足下に広がっている。

この一歩は、誰しもが自由に踏み出せる事実。


僕は、2018年4月8日(日)鎌倉市腰越 龍口明神社より

その一歩を踏み出し、歩むことをダンサーとして表現して舞りたいと思います。


「歩んで舞る。」
step by walk , to be dancing




って、、、中島宮司との話に戻れなかったというオチに!!汗

明日更新時には中島氏との話に戻れるだろうか。。。

くーー、、、恐れ入りますが、

引き続き、更新していくので、
どうぞ、きながにお付き合い頂きましたら幸いです。



一舞一生 - one step , one life - 
小畑‘OBA’大左衛門








2018年3月22日木曜日

【 歩んで舞る。 】episode Three



鎌倉〜出雲までの767km

2017年3月28日〜4月24日までの28日間

うち、2日休みで26日間連続で一日約35km〜40km

約30kgのバックパックを背負い

一本歯と地下足袋の兼用し歩んだ

身体結果報告



腰痛•膝痛•足首痛


一切無し!!!




この事実は、、、

わたくしにとっては衝撃でございました。


もちろん筋肉痛など含め身体全体は極めて疲労状態でありましたが

関節痛が一切なかった事実。。。

なんなら、

ダンサーとして慢性的な腰痛と右膝痛が、治ってしまった。



あまりにも謎、、というより衝撃であったが故

この事実を自分なりに解明してみました。



やはり、先人が利用していた「道具」を用いいたことによる結果だと考えました。

すなわち「一本歯」と「地下足袋」。

双方ともに共通するのは「前側重心」であるということ。

二本歯の下駄は前の歯が先に削れることを正しい歩行とするように、

日本人本来の基礎身体活動の重心は

「かかと」ではなく「つまさき」にあったこと。

この「つまさき」すなわち「前側重心」により、何の効果が発生するのか。

端的に述べると、「足首という名の逆関節が蘇生する。」



猫の足をイメージしてください。

(猫の足の絵、、わかりづらくてごめんなさい。。)

猫の足のカカトの位置は、人間に比べ遠い位置に存在します。

そのため、
猫には膝関節に合わせて逆関節も存在し一見、鳥の足を連想させます。

その逆関節は、猫にとっての足首ですよね。(詳しくは呼び名等違ったらごめんなさい)

ただ事実として、膝に加えて足首という名の逆関節すなわち二段階関節により

あの凄まじい猫の動作能力が生じるのだと思います。


猫のカカトほど離れてはいなくとも、人間にも足首は存在する。

つまさき前側重心にすることにより足首が、逆関節としての機能を再生させる。

人間にも、膝-足首と二段階関節が存在すること。

など
足首という逆関節すなわちクッションは、歩行時のショックを腰へ届く前に吸収する。
しかし、ソールを持つ靴なりのカカト歩行では、
歩行時のショックがカカトを通して腰へ直に伝達する。


腰痛は基本、習慣痛と言われています。

なので一本歯や竹馬などを利用して、
習慣的にカカトから直に腰へ与えていたショックを一瞬でも和らげると

自分でもびっくりする早さで腰痛が治ったりします。


ともあれ、この鎌倉〜出雲までの28日間徒歩の旅による身体感覚として

世界でも稀な徒歩道具「下駄」をもつ国「日本」

この「下駄」が、この「国」から姿を見せなくなったのは

ここ数十年の話だと思います。

日本の歴史で考えるならば、西洋靴が輸入され社会の中心となったのは
つい最近のことです。

それまでは、当然のように日本人は下駄を履いていた。

「足元」のアイデンティティの損失は、意外と大きいのではないだろうか。

もちろん、だからといって下駄を履かないと日本人ではないなんてことを
言っている訳ではありません笑

そのような意味ではなくて、かつて先人が用いていた
先人の知恵なる「道具」を
「足下から見直す」ことはとても有意義ではないかと考えます。

ともあれ、
今回の『歩んで舞る。』プロジェクト

徒歩ツールとして、なぜ

一本歯と地下足袋を利用するのか。

その背景に出来るだけ迫ってみました。

この「歩んで舞る。」を通して、
二度目となる徒歩活動により身体ともに頭脳を整理し

踊りを精神(こころ即ち道)として共有することを目的とした

「舞士道」

と合わせ

「日本人身体蘇生論 -前側重心(ゲタ)の衝撃-」

も展開させていきたいと考えております。

『歩んで舞る。』の経緯から、
かなり話がディープな方向へいきましたが。。。

明日から、

2018年4月8日に出発する「歩んで舞る」プロジェクトと
2018年4月28日奉納舞公演におけますキーパーソン

中島宮司(83歳)

彼とのお話に、戻りたいと思います。


一舞一生 - one step , one life - 
小畑‘OBA’大左衛門


ps.
どちらにしても上記文章での説明では分かりヅらいの極みだと思うので近々
実演•体現込みの『動画』で「日本人身体蘇生論」をご説明できたらと思っております。
引き続き、なにとぞ宜しくお願いいたしMAX。